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致知2022年6月号 「伝承する(総リード)」を読んで

過去の「致知」を読んでも、少しも古さを感じさせず、感動と学びであふれている。その理由とは、「人間学」をテーマに、文により、伝え、教化する「教え」であるであることの証拠だろうと思う。木鶏会をわずかながら継続していていつも感じるのは、同じ文章を読んでいても、本当にその人の受け止め方がそれぞれにあるという驚きである。人は変わらず、同じ「私」でも、時間や場所が変わり、状況が異なれば、違った感想文を書くことになり、すべては受け手の姿勢次第、人生は何をキャッチするのかで決まるのだとつくづく感じる。


だからこそ、誌面に載せられてきた「修養の大事さ」という思いをしっかりと受け止め、「修己治人」の生き方を貫いていきたい。

己を修めなければ、人を治めることはできない。「治」には、助ける、育てるという意味があるという。私は、会社の代表を引き継ぐには、若い年齢であるという自覚がある。年上の先輩社員と接し、変わることを求めることもある。経験の不足を常に感じ、自らの至らなさを恥じている。一方で、時間とは、異なり、質的に修養を重ねることで、人の上に何とか立つことを許されるのではないかと思うこともある。年齢ではない。

いずれにしろ、言葉の受け手に響くかどうかは、言葉を発する「私自身の修め方」による。絶えず、自己を修養し続けることを目指し、生き方で、生き方を伝承していけるようになりたい。

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