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エネルギー医学研究会の発表で考えた、ヒーリングについての考察


数年前からホリスティック医学協会の、エネルギー医学研究会に所属(?)しており、定期的に何か発表などさせていただいているのですが、2/3に開催された
各種療法におけるエネルギー連続講座の第3回「ヒーリングにおけるエネルギー観」がめーちゃーくーちゃ面白かったので感激しました。

登壇者は前半が「ヒーリングタッチにおけるエネルギー」ということでNPO法人日本ヒーリングタッチ協会会長の戸田 美紀さん、
後半が「直傳靈氣におけるエネルギー」についてNPO法人国際直傳靈氣協会名誉理事長の山口 忠夫さんでした。


左から、戸田 美紀さん、山口 忠夫さん、降矢先生



イベントページはこちら。
https://www.holistic-medicine.or.jp/seminar/energy-medicine/24_2_3/

連続講座で次回は4月、「西洋・中世におけるエネルギー観/
医療占星術のエネルギー観」がテーマです。
   
思えばわたくしもレイキティーチャーとしてレイキを伝授していたこともありますし、
レイキに始まり、
リコネクティブ・ヒーリング(何しろ本が素晴らしかったしエネルギーは一番面白かった!しかしエリック・パールが途中から怪しくなった)、
シータヒーリング(シータヒーリング自体はいいのだが色々あって受講史上始めて返金請求、笑)、などなど
さまざまに経験してみて来ました。

その過程でこれらの「アヤシイ」だが「確かになんかある」だが「科学的にはおかしい」ものへの自分の態度をどう落とし所をつけていいのか分からず試行錯誤し、その問いは、量子力学などを持ち出したら解決できるようなものではなく、「機序はよく分からないが確かになんかあるものだ」という位置に置いています。(中途半端に科学で深追いしないことがいま大事にしていることです。科学的な視点で評価することはいつでも大事と思う。)

この調子で書いているとほとんど本を書かないといけないレベルになってしまうので長い話を短くしますと!

特に「普段はこういうところでお話する機会はあまりないので」とパワポや資料も使わずに、しかしその代わりに、創始者からの系譜の写真入りの図表を示されながらお話くださった山口先生のお話に非常に刺激を受けいろいろ考えたのでそのポイントを以下にまとめます。

*(前提)今日本で多くの人が学んでいるレイキは、一旦西洋を回ってきてプロトコル化されたREIKIがベースとなっている(12ポジションとか、ファースト→セカンド→サードがあって、シンボルがあってマントラがあるもの)(わたしが学んだのもこちら)

*山口先生の直傳(じきでん)靈氣は文字通りの直伝で、テキストの中に出てきたレイキの系譜の主要人物と直接もしくは近接に交流しておられるその実感から語られるレイキが、「習ってたのとだいぶ違う!」

*その違いは、方法とか、ましてやどっちが正しいかとかではなくて、禅がマインドフルネスになる過程そのものだったことに目から鱗が落ちる思い。

*レイキが最初は臼井甕男氏の天啓から始まっていたにしても、実はもっと民間手当、家庭でのおかあさんのお手当て、というごく素朴な民族治療だったのだなあ…と、山口先生が繰り返しおっしゃる「身近な」「ふつうに」という言葉から浮かび上がってくる。

*それが西洋に渡って、創始者のエネルギーとか、療法が持っている文脈とか、それを実際使っているひとびとの雰囲気とか、そういうものから離れたところで使われ、技法が切り出されていき、プロトコル化されていくうちに、なにか実際以上に神秘的になりすぎてしまったのではないだろうか。

*こういうことってあらゆる技法に起こる避けがたい問題で、しかも一概に悪いことだとは言えないけれど、やはりそのオリジンのエネルギーに触れるって大事なのだと感じた。

*つまり創始者には会っておけ。それが敵わないなら、直属の人に話を聞け。

*会場から「痛みなどの身体のことだけではなく心の問題はどうヒーリングするのか?」
→山口先生の答え:心のこともカラダに手を当てればいい。甘えたいとき子供は「おなかいたい」というのだ。やり方とかステップとかじゃなく、まず母親が優しく手を当ててあげる、そういう身近なもの。
悩んだら専門家ではなく、家で手当できるのが一番いい。そういう素朴なところからやっているのが霊気だ。


参加者からは、ヒーリングのエビデンスだとか、ある日からヒーリングが出来るようになってしまった話だとか、色々なことが語られていたけれど、おそらく近代科学的な手法で測定してなにか出るようなことがあったとしても、最終的にはヒーリングの実質は「人が人を癒やす」ということなのだろうと思う。

そしてそれこそ私達が、心身に痛みを抱えたとき、歴史の中で皆がめんめんとやってきた治療というもののの原点なのだと思う。

わたしも、そのよく分からない「なんだか良くなってしまう」ことの原理原則をサイエンスで捉えたいと思ってきたが、(もちろん今でも興味は持っているが)しかし今日山口氏がお話くださったような、つらい人に手を当てて、専門家ではなく、家族や民間で治療する、という文脈から切り離した瞬間になにか違うものになってしまうだろう。

ああやはり、癒やしはサイエンスではなく「人類学」の領域なのだよ・・。
サイエンスなどあざ笑うかのように、人が人を求める、そのシンプルな力学がすべてをもたらし、その欠如があらゆる病を生むのだよ。

折しもZOOMでこのお話を聞いている後ろで、発熱ムスメが寝込んでいた。
水を飲ませたり、解熱剤を飲ませたり、クラニオしてみたり、
もてるアイテム知識技能をフル活用していたが、
そぼくに「つらいねえ、よしよし」とただ触れてあげることが、
もしかしたら一番の薬効を持つのかもしれない。

人間ってさ、そうなんだよ。
この実感が深まるばかりの、今日このごろである。

と、長文をしたためたあと、
これから私は「お祓いとお清め」のワークショップなんである!

心理士さんが、クライアントさんと対処したあとのセルフメンテナンス的な感じで告知しておられたからふわっと申し込んだら、
なんとまさかのクラシックなお清めの感じであった・・時代・・!
心理職についての謎がまた深まる。




▼わたくしに関する情報や近況はだいたいこちらにまとまっています


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