『検証・格差論』第7章 「ゆとり教育世代」の恐怖?――ステレオタイプはいかに消費されるか

はじめに

本稿は2011年に『POSSE』第13号に寄稿し、2015年に同人誌『検証・格差論』に収録したものですが、近年の言論状況を鑑み、本稿を同書の無料サンプルとして公開いたします。忘れ去られようとしている若者論の記録です。

なお、『検証・格差論』は下記のサイトで電子書籍として配信しております。

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1. はじめに

「ゆとり世代」――少なくとも新聞報道においては、かつては、豊富な時間と金を持った退職後の世代を指す言葉であった(例えば、2005年朝日新聞夕刊「ゆとり世代、遺跡ロマン 気分は学者」においては、60歳前後の世代が参加する遺跡の見学会を採り上げている)が、2008年周辺からその意味は一変し、所謂「ゆとり教育」(本来であれば「ゆとり教育」なるものは方針的には1970年代からあったが、ここでは俗に「ゆとり教育」と呼ばれる、平成0年代~10年代後半の学習指導要領に基づく教育方針を指すこととする)なるものを受けてきた世代、という意味合いで使われるようになった。同時期、新聞や雑誌の報道においては、そのような「ゆとり世代」が会社に大量に入社してくる、ということが、(不当なものも多い)危機感を持って報道されるようになった。「ゆとり世代」問題は、この段階で「教育問題」から「就業問題」へと展開したということになる。

ゆとり世代」という言葉を取り扱った記事は、主に2008年のものである。それらの記事においては、概ね次のような評価や枕詞がつけられることが多い。

「『最近の若者は――』で済まない質の変化が確かに起きている。(略)新人育成はこれまで人事のテーマだったが、いまや多くの企業で経営のテーマになってしまった」(リクルートマネジメントソリューションズ・シニアコンサルタントの桑原正義の発言。太田匡彦、野村美絵[2008])
「今年の新入社員はちょっと違う…」
採用や研修を専門に行う企業にヒアリングをしたところ、多くの担当者から、こんな声が聞こえてきました。(杉村貴代[2008])
「今年の新入社員はちょっと違う」。ここまで過激ではないにしても、そう首をかしげている読者も多いのではないだろうか。(「日経ビジネス」2008年8月25日号「新入社員教育 “ゆとり世代”を戦士に」pp.84-85)
新人類、エイリアン、モンスター……いつの時代も若い世代は「新しい種族」と見なされ、さまざまな言葉で形容されてきた。(略)しかし、ここ二、三年(略)今年はどうも本物の「エイリアン」が入社してきたようなのだ。(国府田昌史ほか[2009]p.5)

このように、今まで若い世代は常に奇特な目で見られてきたが、それにも増して昨今の新入社員は奇特である、という書き出しの記事が少なくない。果たしてそのような見方は本当に公正なのか。そもそも1年やそこらで新入社員の質というものは劇的に変わるものなのだろうか?それは「ゆとり世代」という言葉が生み出した幻影である可能性が高いのではないか。「ゆとり世代」と呼ばれる世代がメディアでどのように扱われているかということを、今回は検証していこう。

2. メディアで語られる表象

様々な雑誌などの記事では「ゆとり世代」の特徴が箇条書きされる。例えば「日経ビジネス」平成20年8月25日号の記事「新入社員教育 “ゆとり世代”を戦士に」においては、p.85に掲示している「ゆとり世代の主な特徴」において「打たれ弱い」「コミュニケーションが苦手」「ナンバー1よりオンリー1」「チャレンジを恐れる」「入社してもお客様気分」などといった、主にネガティヴなイメージの「特徴」なるものを載せている。また「週刊ダイヤモンド」平成20年4月5日号の特集「学力大不安」内での記事「「社会起業家」を目指す大学生 ゆとり世代特有の強みと弱み」の中では、陰山英男(立命館小学校副校長)の意見として「問題を人や社会のせいにしがち」「物事はうまくいって当たり前と考える」「このダメダメな状況を一気に解決する夢のような方法がどこかにあると考える」という「ゆとり世代3つの特徴」なるものを上げている。

また、平成22年12月18日付北海道新聞(「就活 勝ち取れ内定、学生に喝!(現代かわら版)」)は、採用担当者約800人にとったアンケートの分析として、《約5割が「『ゆとり世代』の就活だと感じる」と回答。自由記述では「のんびりしている」「競争意識が薄い」などの意見が際立った》などという結果が出たことを報じている。しかし、そもそも《「ゆとり世代」の就活》というものに対する定義付けがこの記事ではされていない。おそらく「ゆとり世代」という言葉に対するステレオタイプを前提に読むべきものなのだろうが、果たしてこのようなものは記事として正しいものと言えるのだろうか。

もちろん、ここで箇条書きされたり、あるいは「特徴」と決めつけられているものは、論者の(勝手な)イメージの押しつけや、あるいは時代背景もしくは教育制度から自分勝手に構築したもので、統計的な裏付けがあるわけではない。然るに、これは若者論、世代論というもの全体に言えることなのだが、論者のイメージが何の手続きも経ないまま既成事実として定着してしまうという恐ろしさがある。

ところで、「ゆとり世代」言説と言えば、もうひとつ欠かせないものとして「学力低下」が挙げられるが、学力に関して倒錯した議論のひとつとして、伊藤博之によるものを挙げることができる。伊藤は、平成17年現在のOECD各国における教育機関への公的な財政支出の対GDP比が加盟国中で最も低いことを挙げ、次のように書く。曰く、

(学力への)そうした影響をマクロ経済の視点から憂慮しているのが第一生命経済研究所の長濱利廣主席エコノミストだ。ゆとり教育で成績が落ちたと指摘されるOECD(経済協力開発機構う)の「生徒の学力到達度調査(PISA)」の関係を分析した結果、長濱氏は「両者の間には明らかに相関関係がある」と指摘する。
長濱氏が分析に用いた06年のPISAにおける日本の「科学リテラシー」の得点は00年時点よりも19点ダウン。「読解力」では24点、また「数学的リテラシー」では34点も下がっている。そうした学力の低下は、今後の日本の経済力の衰退を暗示する。(伊藤博之[2009]p.124、引用に際して漢数字を数字に改めた)

そしてこれにつなげて、現場からも学力低下の「影響」を危惧する声が、とつなげるわけだが、以下のような疑問が生じる。

なぜ長濱や伊藤は2000年調査からの結果の比較のみでそのように断じるのだろうか?さらに言うとなぜ他の国の事例を出さないのだろうか。一部だけを抜き取った恣意的な比較と批判されることは想定しているのだろうか。ちなみに2009年調査においては、我が国は2006年調査に比べて、数学的リテラシーで6点、科学的リテラシーで9点、読解力に至っては22点も点数を上げている(国立教育政策研究所の資料より。注1)。なお伊藤の記事で唯一救いようがあるのは、「ゆとり教育」のルーツが1970年代にあることを記載していることだ(伊藤、前掲p.123)。他の類似の記事と比べて唯一と言っていい。この点だけは評価できる。

3. ジャーナリズムからの逸脱

「ゆとり世代」を取り扱った記事には、ジャーナリズムや研究・批評のあり方から逸脱しているものも少なくない。例えば「ゆとり世代」という言葉が週刊誌で初めて使われたと推測される(国立国会図書館のデータベース上で「ゆとり世代」と検索すると最も古い記事として出てくる)「週刊現代」2004年7月10日号の記事は、既にタイトルからして「今年の新入社員は“ゆとり教育バカ”で~す」などというものである。p.232では、次のように述べている。

(筆者注:新入社員の質が悪くなっているのではないかという)この疑問、じつは杞憂ではなく、的を得ている。近年の新入社員、ことに今年の新入社員は、どの企業であれ、確実に出来が悪いはずなのである。(「週刊現代」、2004年7月10日号p.232)


《はずなのである》ときた。このあとには「ゆとり教育」に関する(メディア上の)一般的な説明が続いたあと、それを「実証」するかのような「実例」や「識者」のコメントを出してくる。それらの正当性に対する検証や、あるいはマクロな統計などは存在しない。

週刊誌の報道に目くじらを立てても、というコメントがあるかもしれないが、さらに酷い例として、「文藝春秋」平成23年4月号の山内宏泰(ジャーナリスト)「「ゆとり世代」社員はやはり非常識」がある。この記事は、原田隆史(原田教育研究所主宰)や陰山英男などといった若者論では「人気」の「識者」のコメントだけで「ゆとり世代」なるものを「非常識」と決めつけてしまったという有様である。当然ながら(?)PISAの順位の変化を出して学力も低下する一方だと煽っている(山内宏泰[2009]pp.343-344)。2009年調査では(参加国・地域が増えたにも関わらず)順位を上げたのだが、その点について山内はどのように考えているのだろうか。

また、メディア上で「ゆとり世代」の脅威が叫ばれ始める時期から「ゆとり世代」について積極的に発言している陰山は、「週刊ダイヤモンド」の連載で、例えば《彼ら“ゆとり世代”は、個性尊重のなの下、「やりたいことだけやりなさい」という教育を受けてきた。(略)越すべきハードルを与えられなかったため、成長の機会を逸してしまっている》(陰山英男[2007]p.71)などと、どこの学習指導要領にも書いていない印象論をさも当然のことであるかのように述べていたり、もしくは《彼らのことを理解するためには、この世代が学校で使ってきた教材を見てみるのが手っ取り早い》(陰山英男[2008]p.65)などと非科学的かつ教育万能主義的なことを言ったりしている。

このような「報道」や「批評」が問題なのは、そこで採り上げられている「実例」とやらが全体を代表しているかということや、あるいは自らの行っていることが果たして報道や批評の正当性と照らし合わせて妥当かどうかを検討する機会を持たないことである。特に若者論においては、このような事態が起こりやすい。しかし、そもそも若年層はメディアにバッシングされるキャラクターを期待されているわけではないのであって、若者相手だから過剰なバッシングも許される、というのは傲慢に過ぎないだろう。

4. 「ゆとり世代」は「商機」か?

一方、人事・管理職向けの雑誌や記事では、昨今の新入社員が「ゆとり世代」であるということを前提に書かれたものが如く出ている。
例えば2011年3月14日付北海道新聞は、北海道若年者就職支援センター(ジョブカフェ北海道)が道内の中小企業向けに紹介した冊子を紹介している(天沼勲[2011])。記事によれば、その冊子においては昨今の新入社員が「ゆとり世代}であることが強調され、中には次のような記述もあるという。

一方で、ゆとり教育で育った世代については「他人と深く関わろうとしない、『できること』『やりたいこと』を優先する傾向がある。大学受験でも競争がゆるく、失敗経験に乏しく打たれ弱い」と分析する。

ジョブカフェが発行する冊子に、このようなことが平然と書かれているということに我々はもっと危機感を持ったほうがいい。若年層の就職を支援する機関が、このようにメディアで語られているようなマイナスイメージの表象を当然であるかの如く述べているのだとすれば、若年層を本気で支援する気力があるのか、と疑われても仕方がないだろう。

「ゆとり世代」に対する新人研修を取り扱った記事も多い。例えば、2010年9月4日付東京新聞においては、テレビ東京の番組「ガイアの夜明け」で、とある家具工房における「ゆとり世代」の育成現場を取り扱ったことを採り上げている。内容は《朝5時に起床し、朝食を作ることから一日が始まる。携帯電話も恋愛も禁止》という条件の下で《内弟子として4年、計8年にわたって修行を積む》というものであるという。また平成22年4月24日付西日本新聞は、九州電力や西部ガスの研修を採り上げているが、例えば西部ガスのものは《ガス管の埋設された真上を歩きながら、地域に不可欠な社会資本を担う企業の一員になった自覚を植え付けようと》はじめられたものであるという。

しかし、これらが果たして昨今「ゆとり世代」に対する対応として始まったものなのかどうかはわからない。もしそうであれば企業側の「ゆとり世代」を特別視するかのような傾向に異議を唱える必要があるし、そうでないとすればなぜわざわざ「ゆとり世代」の人材育成現場として採り上げる必要があるのかわからない。

一部の人材コンサルタントも現在の新入社員が「ゆとり世代」であることをいいことに、メディア上でのマイナスイメージを前提として語ることも少なくない。例えば『頭痛のタネは新入社員』(新潮新書)などの著書がある前川孝雄(リクナビ元編集長)は、現代の新入社員が「大人免疫力」なるものが低いとし、それについて「リアルコミュニケーション」を重視した、《ネット・メールより〈リアルコミュニケーション〉重視》《〈上司からの誘い〉には〈よろこんで!〉》などといった6つの心得を持つことの必要性を説いている(大波綾[2008])。リクナビの編集長ともあろう人間が、果たしてどのような根拠でそう言っているのかを開示しないというのは理解に苦しむ。

もちろん、「ゆとり世代」は決して理解不能でもなく、教育不可能でもないという意見もあるので紹介しておく。例えば、上田隆宣(日本ペイント情報システム部統括部長)は、記事のタイトル(「上司泣かせのゆとり世代を即戦力にする上手な育て方、伸ばし方」)とは裏腹に一般的な指導法を紹介した文章の締めとして《競争を知らないゆとり世代とは言われるが、役に立つ仕事をしたい、人に遅れをとりたくない、ほめられたいという気持ちは人間の本能であり、世代に関係の無い不偏の原理である》(上田隆宣[2009]p.43)と書いている。内海正人も、《ただ「時代が違う」「生き方が違う」と一言で済ませてしまうのは簡単だが、それでは世代間のギャップは解消しない。ましてや、そんな話題を酒のつまみにして、違いを事細かに分析することが彼らを理解することになるはずはないのである》(内海正人[2009]p.100)と安易な世代論を戒めている。

5. ステレオタイプがもたらす悲劇

ここまで、「ゆとり世代」なるものがどのような表象で語られ、それがどのように利用されているかを見てきた。しかしここまで見て、そもそも「ゆとり世代」なるという言説は名称だけが特殊なだけで、実際の消費のされ方は、以前の世代と変わらないのではないか、という見方もあるかもしれない。「ゆとり世代」なる言葉はメディアで消費されているだけで、実際に影響や害悪を及ぼしていないのではないか、と。

だが、現実に現代の新入社員が「ゆとり世代」であるということを免罪符として度が外れた行為を正当化する向きもある。2010年5月24日付朝日新聞東京本社版朝刊(「「新卒切り」に気をつけて 甘い採用計画、新人が「調整弁」に」)においては、都内のITコンサルタント会社を内定辞退した(記事中では「内定切り」の一例として書かれている)女子学生の話が紹介されている。この女子学生は、入社直前の2月にIT知識を問うテストがあり、その結果をめぐって執行役員に《「君の大学では一生上に上がれない」「クズと同じだ」と面罵された》ことがきっかけで内定を辞退した(のちに、大学の就職課が正式に抗議した)という。

これについて会社側は、朝日の取材に対し《「内定切りや新人切りではない。ゆとり世代の学生は甘いところがあり、厳しく接するのは教育」》とコメントしている。どんなことが行われようとも「教育」の一言で済まされ、免罪されるという考えは、それこそ戸塚ヨットスクールなどの論理と変わらないだろう。相手が「ゆとり世代」だからといって強迫的な行為が許されることがあるべきではない。

また、「しんぶん赤旗」2011年1月10日号では、近年の就職活動の光景のひとつとして《就職コンサルタントに「内定をとれないのは労働条件を聞くからだ」「ゆとり世代で常識がない」といわれ、内定が取れないのは自分たちのせいだと思わされて》いるというものが繰り広げられていると論じている。もちろん、これが現代の就職活動を代表するものであると主張するわけではないが、就職活動における「自己否定」の一手段として、自分たちの世代が「ゆとり世代」という劣った世代であるという自己認識を持つことを強要されているということに対する問題意識を持ったほうがいい。

また、学生の就職難の原因は学生が莫迦だからだ、という言説は、一部の「大人」にとっては確かに耳に感触のいいものかもしれない。現にそういうことをTwitter上で発言している学者(池田信夫など)もいる。然るにそのような問題設定は、就職の問題を景気やデフレの問題から捉え、経済的に正しい解決策を提案することを妨げる要因にもなりかねない。地方では学生の雇用を控える要因としてデフレや円高を挙げている向きもあり、こと製造業にとっては(すくなくとも定量化どころか定性化もかなり困難な「ゆとり教育」による影響よりは)痛手となっている。このような現状に対し、《これだけの不況、デフレ・円高では、学生個人の努力も無に帰してしまう。脱不況こそ最大の雇用対策だ。これだけは忘れないでほしい》(石戸諭[2010])と説く向きもあるが、ジャーナリズム全体としては少数派と言ってよい。
そもそも「ゆとり教育」なるものに対するステレオタイプを保持したまま、ジャーナリズムから逸脱した「報道」をしたり、もしくは「対処法」を吹聴したりするのは、年齢(生年)差別にもつながりかねない。そもそもメディアが教育の政策に合わせて都合良く乗っているだけの「ゆとり世代」報道や、それによる世代認識をベースとする各種の「提言」の検証がなぜ行われないのかということについて、もっと議論されるべきではないのか。

注1:http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/index.html 掲載の資料より筆者算出。

引用文献

天沼勲[2011]「ゆとり世代社員 伸ばすコツ指南」, 2011年3月14日付北海道新聞, p.13, 北海道新聞社, 2011年3月
石戸諭[2010]「就職内定率41.3% 来春張るの県内大学生、過去最低(究・求・救・Q)」, 2010年12月10日付毎日新聞岡山県版, p.21, 毎日新聞社, 2010年12月
伊藤博之[2009]「ゆとり世代を戦力化するコツ」, 「PRESIDENT」2009年5月14日号, pp.122-128, プレジデント社, 2009年5月
陰山英男[2007]「社会にデビューしつつある「ゆとり世代」とは?(仕事力・家庭力をグングン伸ばす大人の陰山メソッド・59)」, 「週刊ダイヤモンド」2007年12月22日号, p.71, ダイヤモンド社, 2007年12月
陰山英男[2008]「知識軽視の教材によって「ゆとり世代」が生まれた(仕事力・家庭力をグングン伸ばす大人の陰山メソッド・61)」, 「週刊ダイヤモンド」2007年12月22日号, p.71, ダイヤモンド社, 2007年12月
国府田昌史, 茂木俊輔, 清木たくや[2009]「20代社員はこうして育てる――「ゆとり世代」戦力化作戦」, 「Fole」2009年11月号, pp.4-13, みずほ総合研究所, 2009年11月
大波綾[2008]「大人免疫力が低すぎる」, 「AERA」2008年6月23日号, pp.28-31, 朝日新聞社, 2008年6月
太田匡彦, 野村美絵[2008]「「ゆとり社員」で職場崩壊」, 「AERA」2008年5月19日号, pp.14-18, 朝日新聞社, 2008年5月
杉村貴代[2008]「これまでの採用活動はもはや通用しない!「ゆとり世代」獲得のための傾向と対策①」, 「Business Risk Management」2008年7月号, ビジネス・エデュケーション・センター, pp.24-27, 2008年7月号
上田隆宣[2009]「上司泣かせのゆとり世代を即戦力にする上手な育て方、伸ばし方」, 「研究開発リーダー」2009年11月号, pp.41-43, 技術情報協会, 2009年11月
内海正人[2009]「”イマドキ”部下指導の勘どころ――「ゆとり世代」とどう接し、指導するか」, 「労政時報」2009年9月11日号, pp.95-112, 労務行政研究所, 2009年9月
山内宏泰[2009]「「ゆとり世代」社員はやはり非常識」, 「文藝春秋」2009年4月号, pp.340-347, 文藝春秋, 2009年4月

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