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キングダム第732話考察・砂鬼の術

久しぶりの考察記事です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

現在の本誌キングダムでは、秦と趙による「肥下の戦い」が行われています。結論から書きますと、この戦いは趙の圧倒的勝利で終わります。

史実では、桓騎軍が赤麗・宜安を占領してから戦いが本格化、李牧が参戦するのですが、キングダムにおいては流れが異なります。李牧は最初から趙軍の指揮を執り、秦軍を追い詰めます。そこから李信軍・蒙恬軍が籠城を目的として宜安を落としました。

赤麗については、宜安奪取前に既に秦軍が落としています。蒙恬は、赤麗に桓騎軍が入場して戦力を整えることを期待しています。

以前、『秦軍が宜安を占領するという「桓騎の手柄」は描かれない』と予想しました。半分当たりで半分外れでしたね。

“紀元前233年、桓騎軍は一度宜安を占領します。この「桓騎の手柄」は果たして描かれるのでしょうか。既に対秦軍の防衛線を整えた李牧が、やすやすと宜安を桓騎に明け渡すことは考えにくいです。 よって、まだ判明はしていませんが、秦軍が宜安を占領するという流れは描かれないと思います。”

キングダム第709話考察・大きな選択

李信・蒙恬が宜安を落としたのは戦が既に本格化した後で、かつ、敗走戦に近いものがあります。現時点では、手柄ではないでしょう。死地から少し脱した程度に過ぎず、「総司令・昌平君は必ず軍を送ってくる」という蒙恬の目論見も、死地からの脱出のための援軍であり、戦局を覆すほどの援軍ではありません。

なぜなら、ここから秦軍は負け続けるからです。

図解を再掲します。現在は、紀元前233年の宜安の戦いをしている最中です。翌年は番吾で敗戦し、狼孟でも敗戦します。これらの大きな敗戦を経て、ようやく李信と蒙恬はこの大敗の死地から脱することが出来るのです。

番吾の戦いにおいては、秦軍はなんと30万の軍勢で挑みます。これが蒙恬が言う「昌平君による援軍」だと思います。ただし、対する趙軍は20万人でこの30万人の秦軍を打ち負かすのです。李牧の「人生最大の大勝利戦」となるはずです。一方、嬴政にとっては初めての大敗です。

現在の宜安の戦いで1つ区切りをつけ、秦軍は咸陽に退却するのかもしれません。史実では、宜安の戦いと番吾の戦いは別の戦いとして記録されているように見えます。

では、桓騎はどうなるのでしょうか。

史書では、桓騎が姿を消すのは紀元前229年と書かれているものもあります。図解に示した通り、この年は王翦がいよいよ趙の王都・邯鄲攻略を開始した年。ということは、この史実に基づいて判断する場合、桓騎は「宜安の戦い」における死地から脱出して生き延びるというストーリーも考えられます。ただ、桓騎が今後活躍しないということを考えると、「ただ負けて国に帰りました」では面白みがない。

実は史書においては、最も謎めいた矛盾が起きている1人が桓騎です。

「秦始皇本紀」では、どちらかというと宜安~平陽~武城の攻略で桓騎の勝利にスポットを当てています。前述の紀元前229年以降は、桓騎はどこかに逃げて不明になってしまう。一方、「李牧伝」では宜安~番吾の戦いで李牧の勝利にスポットを当てています。さらに「戦国策」では、李牧によって桓騎が殺された、ということになっています。

この三者三様の記述は、真実がどこにあったのか全く掴みどころがない状況に誘います。まるでキングダムの桓騎のようです。ここを、原先生がどのように描くのか楽しみですね。徐々に、桓騎の過去も明らかになりつつあります。

お読みいただきありがとうございました。

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