中国から来た「酒に弱い遺伝子」
面白い記事が掲載されていました。
酒豪遺伝子は、秋田がダントツ。お酒に強いばかりでなく、お酒が好きな方も多いと思います(個人的意見です)。
私の出身地である福島県も、全国4位です。私は4年前にアルコールを卒業したので飲んでませんが(もともと決めていた)、確かに強い人が多い気がします。
記事では、中国から日本に渡来した人たちは、「酒豪遺伝子の割合が低い」とされています。
上記の図が、遺伝子的なルートを本当に意図して書かれているかどうかは分かりませんが、図の通りに解釈するとどうやら中国・雲南省あたりで酒に弱い遺伝子が突然変異で誕生したことになっています。
面白いことに、私のハプログループがこれに当たります。以前書いた記事をご覧ください。
確かに、アルコールを飲んでいた時期、強いか弱いかで言えば弱かったです。すぐ酔ってました。書くのも憚られるほど、壊滅的に酔ってました。経験的にも、雲南起源説に合致していると思います。福島県は酒豪が多い土地ですが、私は遺伝子検査の結果の通り、渡来系の遺伝子が強いことが証明されるわけですね。
中国から渡来した人たちについては、下記に書いています。
中国・呉太伯の子孫の渡来が、日本のいわゆる天孫降臨だと思ってます。呉太伯は、元々は周王族の「姬」姓でした。周を出て呉を建国、その子孫が日本に来た。
その時に持ち込んだのが稲作で、米を炊く方法を「姫飯法」と言うのは、もともとは「姬飯法」だったはずです。日本の漢字では、姬と姫の区別がありません。同化してしまいました。
これは私の考察です。正確な実証には科学的根拠に乏しいのでご注意ください。
下記は、渡来系氏族の動きです。
姬姓(呉)の渡来人がクニを作ったのが火国(肥国)で、吉野ヶ里遺跡には稲作の跡が発見されてます。熊姓(楚)の渡来人がクニを作ったのが熊襲(熊楚)で、大和朝廷が潰しました。当時の九州は、群雄割拠だったんですね。
一点、さらに考察が必要なことがあります。
それは、呉太伯が祀られている鹿児島神宮のことです。
鹿児島は、酒豪遺伝子が多い場所です。その場所にある鹿児島神宮で、呉太伯が祀られています。
前述の通り、「酒に弱い遺伝子」を持ち込んだのが渡来人ということなので、下記の仮説が成り立ちます。
①呉太伯の子孫は、酒に強かった
②熊姓(楚)の渡来人が、酒に強かった
③もともと日本土着の縄文人が酒に強かった
④酒に弱かった呉太伯の子孫も熊姓(楚)の子孫も、九州から追い出された
①と②は遺伝子的にあり得ないわけですね。そうすると③になるわけですが、結果的に④も合致します。③と④が正しいという仮説に基づきますと、恐らく呉太伯の子孫も熊姓の子孫も、鹿児島や熊本あたりで国造りを進めたものの、大和朝廷によってその地を追い出され、日本の別の土地に移動したことが考えられます。
そうなると、もともと鹿児島や熊本に住んでいた縄文人が土地を回復して、結果的に酒豪遺伝子を持つ人たちがそれらの土地を統べたことになります。
さて、どの土地に逃げたのかはさらに妄想が必要なのですが、注目すべきは京都と奈良に「酒豪遺伝子」が少ないことです。さらに、最も「酒豪遺伝子」が少ない三重県には、ヒントとなるような遺跡も存在しています。
そして何よりも、三重県にはあの伊勢神宮があるわけですね。このような妄想から紐解いて行くのも、面白いと思っています。記事には酒豪型遺伝子の出現率の記載もあります。
✅酒豪型遺伝子の出現率
・白人(ドイツ、スウェーデン、フィンランドなど)…100%
・黒人(スーダン、ケニアなど)…100%
・日本…56.4%
・中国…59.0%
・韓国…71.6%
これだけで判断すると、中国と日本が近似値であることから、韓国からの渡来人が日本で一大勢力を築いたと考えるよりも、中国からの渡来人がより多く日本で広がっていったと考えても良さそうな気がします。
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