受けるということ参考資料

受けるということ、参考資料


あらきとうりよう290

私は、信じるとは、とどのつまり「受ける」 ことだと思っています。しかし、自分の手が空っぽでないと、丸ごと受けることができません。ですから、千円でも、無ければ百円でも、とにかくおつくしさせてもらうことが、一番の受ける道であり、それが信じるということの本質だと、私は思います。

諸井慶一郎先生インタビュー



「教理大要」諸井慶一郎
第8章 道すがら
第3節 誠真実
「成人の目標」 の項より

親神様のお望みは一言に申せば、「誠一つが天の理」で、誠の心をお望みです。この誠についていろいろにお諭しくださり、いろいろに悟らせて頂けますが、結局は私達の為す事を、しっかりやらせて貰うのが誠であります。
その為す事とは、つまるところ二つのこと、即ち受けることとつくすこと、入れることと出すことでありまして、食べることと出すこと、つく息引く息、聞くことと言うこと、皆この二つのどちらかに入ってしまうのであります。
そこでこの二つのことをしっかりやらせて貰う、しっかり受け、しっかりつくす、それが誠であります。
そしてこの受ける方を、たんのうが誠と仰しゃり、つくす方は、人をたすける心が誠と仰しゃり、それをしっかりやれ、真実を出せ、まことをつくせと仰しゃるのであります。
この受けるのに二つあります。即ち理を受けるのと、物事を受けるのとであります。理を受けるのは、知る、分かる、悟る、という方面であり、物事を受けるのは、感謝報恩御礼の心であります。出しつくす方にも二つあります、即ち目上に向かってつくすのと、目下に向かってつくすのとでありまして目上に向かってつくすのは、親孝心、つとめ一条、目下に向かってつくすのは、親心をつくす子育てと、たすけ一条であります。
 
そこでこの四つの方面で、しっかりやらせて貰うのが誠であり、しっかりやらせて貰うように成るのが、成人するということであります。誠の人にならせて貰うことであります。そしてこの誠の人となることを、成程の者、成程の人と仰しゃるのであります。
したがって、成人日標としては次の四つが掲げられます。
イ、理を受ける場面では、理の悟りの鮮やかな人に成ることであります。
口、物事を受ける場面では、感謝報恩の心の湧いて出る人に成ることであります。
ハ、たすけ一条の場面では、人だすけの心の旺盛な人に成ることであります。
二、つとめ一条の場面では、親孝心の強固な人に成ることであります。



頭蓋骨と顎関節(岐阜県のとある歯科ブログ)

下あごは顎関節という、からだの中で一番神経支配の多い大切な関節を介して頭蓋骨の上半分とつながり、顔、頭の部分を作っています。
下あごは顎関節から下にぶらんとぶらさがっているだけで自由に位置がかわります。
だから開いたり閉じたり、ものが食べられるのも喋るのも、このおかげで出来るわけです。

しかし、下あごの定位置は噛み合わせによって決められています。
噛み合わせの位置から様々な機能が始まり、またその位置に戻ります。
この下あごを支え、動かしている筋肉はすべて骨に付着し、複雑に連動する仕組みによって身体全体をつくっています。

この時、下あごが体の重心線からはずれると、あたまのてっぺんが体の真上に無い状態がうまれます。

(これはちょうど、頭に上におぼんをのせて、その上に高く積み上げた果物を運ぶ際、果物が頭の真上にではなく、斜めに積まれた状態と同じ様なもので、それを支えて立つのに随分不自然な体位をとらねばならいことが、よくお分かりいただけると思います。)

噛み合わせによって下あごがずれ、それに伴い頭全体が体の重心線上からずれると、全身のかなめといわれる頚椎や背骨が曲がらざるを得なくなり、そこから分布する神経や血管の働きに大きな影響を与えることになります。

もちろん、先程述べた様に、筋肉はすべて骨から骨に付着していますから、不自然に曲がった頚椎や背骨を支える筋肉は無理な緊張を強いられ、コリの原因となり、圧迫された血管の血液の流れが悪くなり体各部への循環障害をおこす結果、様々な病気の元をつくりだしてしまいます。

人は本来、他の動物と同様、自分の体は自分が守れるような能力、すなわち自律神経の働きでその恒常性を保つようにできているのですが(自然治癒力)、頚椎や背骨がこの神経系に大きく関与していることを考えれば、姿勢や頭位、顔のゆがみは健康のバロメーターとして大変に重要だといえるのではないでしょうか。

2023.06.28

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