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私のビジネススタイル その4 John Akers,IBM CEO の思い出

John Akers、who had died aged 79,was CEO of IBM when the company lost control of PC business ,and made the biggest annual loss in its history. 2014-8-25
(ジョン エイカーズ 元IBMCEO、パソコン事業のコントロールを失い、IBM史上最大の赤字を出した、は79歳で亡くなった 2014年8月25日)
 
John Akers  を知っている人は少ないかもしれない。‘巨像IBM’のたて直しで社外から招かれたガースナーの前の社長だ。大手顧客担当の営業部門から階段を上がってトップになった‘最後の良き時代のIBM CEO’でアングロサクソン系の品格があった人だった。
 
IBM全世界の30万人の社員を率いるトップのAkersが日本に1週間来る、お前はその臨時補佐として一緒に行動する、その間の仕事を全て外せと上司に言われ、厚いバインダーを渡された。一緒に来日する数人のトップにも補佐として各部門から選ばれた、若手の育成経験プログラムだった。
東京で3日、大阪で2日、そして東京で1日、車、ホテル、新幹線、いつも‘カバン持ち’のように一緒に行動した。当時、椎名社長の後継者を指名するのではという噂の中で、最終日の東京ではメディア会見もセットされていた。
 
お客様のトップ訪問、日本IBMトップとのOne on One(一人ずつの会議)などの時間は車の助手席で待機して次の予定地と連絡確認する、私は彼の分刻みの時間管理係だった。
 
子会社にとっては、自己主張をするチャンスであると共に、つつがなく終わって欲しいという気持ちが周囲に強かったのは想像できる。そうした日程をこなしている彼と私に、やがて何となく倦怠感が出て来た。
リハーサルが徹底していたのだろう関西ではつつがなく過ぎすぎて、1時間も時間が空いてしまった。次の関西地区のお客様とのParty会場に先行していくべきか?
 
彼に道すがら、‘社員が働いている事業所に寄っていかないか? ’That’s a good idea’
では、時間が出来たから、事業所に行きたいと私に命令してほしい。 I order!
CEOの絶対命令に従って、そのまま我々は営業所に立ち寄った。
エレベーターで社員はびっくり、握手する彼も嬉しそうだった。
 
この連絡をしなかったばっかりに、この1時間の行方不明事件は大騒ぎになって、私はその後かなり恨まれた。
しかしもし相談、連絡したら、もっと大騒ぎになっただろう。
 
そして東京に戻って最後の記者会見が終わって車に戻った彼が、‘That’s it!’-終わったぞ!
一番ストレスな時間がうまく終わって、スピーチ原稿を私にほうり投げた。
それには一語、一語ごとに青鉛筆で線が数本入っていた。
トップの仕事は暗記する能力、ペーパ―を見ない自然なスピーチの力だとよくわかった瞬間だった。
 
さて、成田空港まで何もない第2の余裕時間が訪れた。最後のCEO命令は、
‘Hotta,ワイフにお土産を買いたいのでどこかいい店に寄ってくれ’
 
今生きていたらまだ86歳、もう一度お会いしたい‘素敵な紳士’だった。

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