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「えんとつ町のプペル」と私の高校受験

緊急事態宣言延長でちょっとメゲているけど、映画には行ってしまったいたこです(^^)/

二度めの「プペル」鑑賞

娘が見たいと言うので「えんとつ町のプペル」の2度目を見に行ってきました。
(以下少々ネタバレあり?です)

1回目でストーリーが分かっているので、映像のより細かいところに目がいって、1回目では気づかなかった小さなポイントに気がついたのが楽しかったです。
たとえば、えんとつ町の統治者「レター15世」が持っている硬貨。これがね、ちょっと変わるんですよ(^^)/ これに気づいたときは「おお!」って思った。
そして、全体的に短く感じたね。これは、知らない道は長く感じるけど、知ってる道は短く感じる、とかと同じかも。

「で?他には?」って思いますよね。

他には?っていうと、やっぱり一番気になるところは前回見た時と同じ。

この町にはルールがある。
①空を見上げてはいけない
②夢を見てはいけない
③真実を知ってはいけない

このルールに従い、それが正しいと思っている町民。それが善とされ違和感を覚えるものは悪とされる。
そして悪とされたものを異端として排除する異端審問会。それだけでなく町民自体がそれを攻撃し排除しようとする。

それがとんでもなく腹立たしい。

プペルと似た体験、「地元集中運動」

似たような経験を中学生の頃にしていると感じた。

当時私が住んでいた地域は、「地元集中運動」という学校運動が吹き荒れていた。日教組の運動だったらしい。
小さな地域だけの事件かと思っていたらウキペディアで出ていて、そんな大きなことだったのかと驚いた。

「地元集中運動とは何か?」

調べていただけばわかるが、ウキペディアから引用させてもらうと、

日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に地元にある特定の高校1校のみを選択するよう進路指導する教育運動をいう。『地元集中受験運動』あるいは実施されていた地域の名称を取って『高槻方式』『高槻・枚方方式』などと呼ばれる。また『地元集中』から『地元育成』と呼称が変更される例も見られるが、実際には進学校を希望する受験中学生を進学校ではない地元の公立高校に行かせるという運動に終始していた。


私は3人姉妹の長女である。年代的に私たち3人姉妹は、どっぷりとこの地元集中運動の渦中にあった時期に高校受験をした。
学校成績を重視する母の影響もあって、私たち3人は3人とも、地元の指定校以外の高校の受験を希望した。
おかげでこの地元集中運動では、それぞれに不愉快な思いをした。

「地元集中運動」とは?



地元集中運動とは要するに、その中学校の生徒全員を地元の指定一校に集中させるというものなので、成績の如何にかかわらずそこを受験しなければならないよう、学校つまり教師がそれを先導していたのだ。

運動のお題目は、
「受験生を地元の高校に確実に行かせる」
「中学浪人をさせない」

という理念のもと、
最終的には高校間格差を無くし「高校教育の義務教育化を目指す」と聞いていた。

けれど、それをすることによってなぜ高校教育を義務教育化できるのか、私には理解できなかったし、そんな説明はそもそもなかったと思う。

私の時


私の受験時には、私の中学ではまだそのそれほど地元集中運動は盛んではなく、賛同する教師が少なかったように思われる。ただし、賛同の意志を見せない教師の評価は下がると聞いたことがあった。
そんな中学だから、母は念のためにと水面下で?動き、学年主任を私の味方につけてくれた。このおかげで、私の被害は少し教師から嫌味を言われる程度。大きな問題はなく受験ができた。
だがその時同じ高校を受験した他のメンバーは、嫌な思いをしていたようだ。

高校の同級生でほかの地区から人では、
「内申書(内申書は中学での成績評価で、これがないと公立校は受験できない)を書かない」
「合格の報告に行っても無視された」
等の話も聞いている。

妹の時

真ん中の妹の時はひどい状況だった。妹は3学年下である。
妹も私と同じ高校を希望して、やはり地元集中運動の壁にぶち当たった。

以下あったこと。
・親が呼び出され、教師からの「なぜ教師の指導に従わないのか」と脅迫めいた親子指導があった(これは当たり前のこと)
・クラスのホームルームでその生徒に、なぜ指定校に行かないのか説明させる
・学年集会と行って体育館に学年全員を集め、指定校以外の高校への進学を希望する生徒に「私はみんなを裏切って○○高校へ受験します」「その理由はこうです」と舞台の上で作文を読み上げさせる。
そしてフロアにいる同級生から「それは悪いことだと思わないのですか」「落ちたらどうするんですか」などと発言させる
・日常の授業でそういう生徒への暴言(これも当たり前)

だからといって指定校への進学を決めた生徒が、きちんと自分の意思で地元校への進学を決めているかというとそうではない。
「じゃあ何故あなたは地元校に行くのですか」と反論された時、生徒達はこういった。
「先生が言うから」

末の妹の時も似たようなもの。
ただし、この子は指定校ではないが同じ市内の高校を希望したので、若干攻撃はゆるめ。それでも、やはりすんなりとはいかなかった。

私の「地元集中運動」と「えんとつ町のプペル」の重なり

つまりは、自分で考えない・考えられない生徒が良しとされる。考えずに指示に従う人間をつくることが良しとされる。そしてそういう人間が大勢を占めれば、多いことが良しとされる。

これが、「地元集中運動」から私が学んだこと。

そして、「プペル」の映画から私が感じ取る一番大きなメッセージも、これと同じもの。

いつも少数派にいた私は、いつも悪だった。
いつも、排除されるべき人間だった。

そう、映画で言えば異端審問会に追いかけられる存在。処分される存在。

そこが、ルビッチやプペルが自分と重なって、めちゃくちゃ二人を応援してしまった。

結論


少数派を虐げてはならない。
多数派を無条件に信じてはならない。

大きなことを成し遂げるものは、初めは必ず少数派だ。


他人の意見で自分の本当の心の声を消してはならない。
自分の直感を信じる勇気を持ちなさい。
(スティーブ・ジョブズ)


ずっと自分をマイノリティだと思って生きてきた私が、やっとたどりついた持論である。

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