自分の知能指数を知って良かったという話

元のツイートは載せませんが、昨日Twitterでこんな話を見かけました。

「知能指数を自信のよりどころにしている人は、良い歳になってもまだセンター試験の点数を語っている奴よりも悪い」

ここではこの発言について良し悪しを論じるつもりはないのですが、ただ個人的な経験として、自分の知能指数を知ったことがプラスになった話を書いておきたいと思います。

大学で精神を病んだ話

大学入学とともに地方から上京して一人暮らしを始めて、誰も知り合いがいない中での生活が始まりました。
それでも最初の半年間はそれなりにまともな学生生活を送っていたと思います。大学に通って授業を受けて単位も取得しました。

しかし、大学は長い長い夏休みがあるわけですが、それが明けた秋ごろ、私は大学に行けなくなりました。
原因は実は全く分かりません。人間関係に悩みがあったわけでもないし、勉強が嫌だったわけでもない。ただ何故か大学に行こうとするとしんどくなってしまったのです。
それでも何とか起きて着替えて電車に乗って大学まで行ってみました。しかしキャンパスの入り口、門のところで立ち止まってしまい、そこで引き返して家に帰ったこともあります。
結局殆ど大学に行かなくなり、単位もほぼ取れず。一応2年生にはなれたものの、そこからも全然大学に行かなかったために、2度留年して2年生を3回繰り返すことになりました。

結局、その後は休みつつも何とか単位を取って学部を卒業、そのまま大学院に進学し、こちらも修士課程を卒業。そして就職せずに博士課程に進みました。
しかしその間もずっと研究室を休み続けては、教授に呼び出されて怒られてしばらくは復帰するもののまた・・・という状態でした。

精神を病んだのが19歳の秋ごろ、そしてようやく精神科に初めてかかったのが24歳の誕生日を迎えた直後でした。約5年間は放置し続けていました。
そこで出た診断が「軽い鬱とパニック障害」とのことで、抗うつ薬と抗不安薬を処方されました。

しかしそこにもあまり長くは通院しませんでした。
多少気分に波があったので、楽な時期を迎えてもういいか、とやめてしまったわけですね。
結局大学にいた約10年間はほぼ病んだ状態で過ごしていたわけです。

知能検査を受けた話

再度精神科を訪れたのは、28歳の、また誕生日の直後でした。
twitter等で「発達障害」や「ADHD」といった単語をよく目にするようになり、もしかして・・・と思ったのがきっかけでした。

私は「当たり前のことが当たり前に出来ない」という自分にずっとコンプレックスを持ってきました。
子供のころから忘れ物が多かったり、部屋を片付けることができなかったり(今も汚部屋に住んでいます)、提出しなければならない課題を忘れていたり、本当にちょっとしたことでも後回しにしてしまったり。親からは散々怒られましたが、そう言われても出来ないものは出来ないんだよという感じでした。
自分の精神が病み続けている理由も、きっとこれが関係しているのではないかと思ったんですね。そういう能力が一般人より劣っていて、だから何もうまく行かないんだと。

そしてそれが一種の障害であるならば、例えば投薬などの治療を受ければ改善するのではと考え、大学の保健センターの精神科を訪れました。

上記内容を相談したところ、それを診断するために知能検査を受けましょう、と提案を受けました。
そしてその2週間後ぐらいにまた保健センターを訪れて、そこで医師とマンツーマンで知能検査を受けました。

知能検査というとペーパーテストなのかなと思っていましたが、実際は違ってどちらかといえば口頭試問に近い感じだったかと思います。
色々なバラエティの課題が与えられて、それをどれぐらいの時間で、どこまでこなせるかを測られます。確か2時間ぐらいかけて行ったんじゃなかったかと思います。

またしばらく日数が経って、検査結果が出ましたという連絡を受けて再び保健センターを訪れました。

知能検査の結果

私が受けた知能検査は WAIS-Ⅲ というものでした。
WAIS-Ⅲ では3種類のIQが出ます。その結果が以下の通りでした。

①全検査IQ 130
②言語性IQ 139
③動作性IQ 115

全検査IQというのは全体を統合した総合得点のようなものです。
言語性IQは、脳内でじっくり考える論理性や理解力、知識量などの能力を表しているようです。
一方で動作性IQは、実際に目の前にあるものを素早く認識して対応する力や空間把握能力のようなものの能力を表しているようです。

IQは平均が100になるように出来ていて、高ければ高いほど優秀とされています。
そういう意味では、私は実はいずれのIQも平均よりは十分に高いということは示されました。特に言語性IQに関しては(正規分布を仮定すれば)上位0.46%ぐらいには入るようです。

ただ問題は絶対的なIQの値ではなく、言語性IQと動作性IQの差にありました。
普通の人はこの二つの数値は近い値が出るものだそうです。高いか低いかはともかく、近い値が出ていれば正常であるようです。
しかし私の場合は24も差がありました。精神科の医師には「差が10を超えると違和感を覚え、20を超えると苦痛を感じる」と説明されました。それが24もあるという事はそりゃ辛いでしょうよ、と。
一般的にも、差が15を超えると「発達障害の疑いあり」とされるそうですから、まぁ見事にそれに該当するわけです。

医師の説明によれば
「動作性IQも115だから決して一般的な人より劣っているわけではない。でも言語性IQが高いせいで『これぐらい出来るはず』という脳内での自己評価と実際に自分が出来ることの間に差が生じてしまっていて、そのせいで苦しんでいるのだろう」
とのことでした。

結局、ほかの診察結果なども踏まえた上で、私に病名は付きませんでしたし薬も処方されませんでした。
それでも私はこの結果を得られたおかげで確かに変化を感じていました。

検査結果を受けて変化した話

それまでは、前述の通り漠然と「自分は世間一般より劣っている」と思っていました。ただただダメ人間で、きっと社会に出てもダメなままだろうと。
幼少期から親にはずっと「お前は何もできないな」と言われ続けてましたし、実際そう自覚していました。

しかし検査の結果、実はそれは単に言語性IQと動作性IQに差が大きいという私の脳の特性から来ているだけのものであり、別に世間一般より劣っているわけでもないし、そういう物だと認識しておけばいくらでも対処ができると考えるに至りました。

これは大きな変化でした。
自分はダメな人間だとだけ思っていた時期は、自己肯定感なんてまさに皆無でした。どうせどこに行っても上手くやれない、邪魔になるだけ、自分は一人ひっそりと誰も邪魔せずに生きているべきなんだ、と思っていたわけですから。
でも実はそうではない、ちゃんと自分の特性を分かったうえで行動すれば、十分にやっていけるだけの能力は持ち合わせているんだ、と思うと自信に繋がりますし、何か失敗しても「やっぱりだめだ」じゃなくて「この脳にやらせるにはどうしたらいいのか」と前向きに考えられるようになったのです。

そして就職へ

この検査結果を受けて、私は大学院博士課程を中退して就職しようと思うようになりました。
博士課程に進んだ理由も「自分は社会ではやっていけないだろう」「サラリーマンなんて無理だ」と思っていたからというのが大きかったので、逆にそれが解消された今、実は博士課程にダラダラと在籍していてもそっちの方が先がないなと思うようになったわけです。

すでに一般的な就活はとっくに終了している時期でしたが、大学の相談室で「学内で大学院生向けの企業説明会があるからとりあえず出てみたら」と言われて参加し、そこで説明を聞いた企業で良いなと思う所があって、そこに志望を出したら運良く採用してもらえました。そのまま今までそこで働いています。

働いてみて、やっぱり思った通り案外何とかなるな、という事に気が付きました。
専門職なので言語性IQが生かせるという面もありますが、サラリーマンの仕事という物はどうしても動作性IQが必要なタスクが沢山あります。でもそれもちゃんと工夫して対処すれば人並みには出来るぞというのが分かってきたのです。

おかげで今はもう精神的に病んでいる面はほぼありません。学生の頃よりずっと幸せに生きているつもりですし、今後も成長して行って立場も上がっていき給料も増えていく、という未来に希望も持っています。
また仮に何かトラブルがあったとしても、何とかなると思えるようになりました。つまり余計な心配をしなくて済むようになったので、それも精神の安寧につながっています。

まとめ

要は私は知能検査を受けたことで自分の脳の特性を知ることができたし、それによって自己肯定感も得ることができたという話でした。
もちろん、最初のツイートの話のように「俺はIQ130だぞ」というのだけが心のよりどころというのはどうなのかというのは分かります。でも少なくとも私は自分に対して一切の自信が無くてただのクズ人間だと思っていたところにちゃんと客観的な結果が得られて、そのおかげで気持ちが楽になった結果として社会に飛び出したりそこでスキルを身に付けたりしてどんどん成長して行けたわけです。
ですから今は別に学歴もIQも関係のないところで自己肯定感を持っていると認識しています。
そういう意味で、昔の私と同じような苦しみを感じている人は知能検査を受けることは悪くないと思うし、一旦はそれで自信を付けて、そこから成長していければそれでいいのだと思います。

あまり纏まりの無い話でしたが、これで。

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