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打つべきか、打たざるべきか。ワクチンについて、両親と話してみた。

ここ最近、大きく頭を悩ませている。
高齢の両親のワクチン接種の有無についてだ。

少し前まで、ワクチン問題は自分の周りには、まだしばらくは関係のない話だと思っていた。

しかし、最近SNSで話題になっていたファイザー社の副社長とされる方の告発映像を見て、これはどういうことだろうか、と気になり始めた。
その映像を流行りの陰謀論だろう、と受け流すのは簡単なことだ。

ぼくは気になって、両親に連絡をした。
「ワクチンってどうした?」

すると、母から
「もう電話じゃ全然予約取れなくて、インターネットでようやく予約できたわ」
と、得意げにすら感じられる返信が返ってきた。

その返答に、ぼくは
「ワクチンには危険性もあるみたいだよ。」
と返答を返すと、

「打たないでいるほうが怖いわよ。」
という返答が返ってきた。

果たして、そうなのだろうか?

ぼくの両親が住むところ、つまり、ぼくの生まれたところは、超ど田舎だ。
道を歩いていて、人とすれ違うことは、ほぼ無い。三密なんて、もっての他、むしろ、これから深刻な過疎化に頭を悩まされる、そんな場所だ。
つまり、感染のリスクもほぼないと思われる。

もちろん、ぼくは感染症の専門家ではないので、感染の確率については、ぼくの憶測に過ぎない。

一方、ワクチン接種のリスク、危険性はネットで調べてみると、様々な情報が出てくる。

情報の内容は、玉石混淆で、恐怖心を煽ってPVを稼ごうとする魂胆のもの、充分な治験の行われたていないmRNAワクチンの危険性を訴える大学教授、製薬会社の方など、現役の医療関係者のもの、既に接種を終えた方のレポート、と様々だ。

情報の正否、詳細については、ぼくには何も分からない。いや、正確に言えば、人類の誰にも分からない、と言って良いだろう。
ワクチンの安全性、危険性は一年後、数年後にどのような影響があるのかを、実際に接種者の経過を観察しなければ、本当のところは何も分からないのだから。

政府官邸のYouTubeチャンネルでは、2分程度の短い動画の中で、河野大臣が「ごく稀に副反応が出る」とおっしゃっているのだが、ごく稀というのは一体どの程度の割合で、どういった副反応が出て、その内、致死率がどの程度か、といった具体的なデータでの説明は何もない。

まあ、それも当たり前で、そもそもデータが無いのだから。

ただ、海外の治験データはあるようだから、それらを示して、データに基づいた説明を国民にして欲しい。政府のワクチン接種に対するメリット、デメリットを比較した広報活動が足りないから、民間の、つまりは一般の方のSNSなどからの発信情報も安全性吟味の対象になっているのだ。

感染者数を速報!などと執拗に報道するなら、ワクチン接種の副反応のニュースも同程度に報じて欲しいのだが、何故かそれはテレビなどでは報道されないようだ。

厚労省のホームページには、ワクチンの危険性について言及されている箇所もあったが、ぼくの両親と話していると、ワクチンこそが救世主で2回痛いのを我慢すれば、この煩わしい世界とさよならできる、と思い込んでいる節がある。
そして、恐らく、優先的に接種を開始している多くの高齢者の方は同じ気持ちなのではないだろうか。

ただ、頭を冷やして、とにかく冷静に考えてみて欲しい。

ぼくも両親にワクチン接種のリスクを伝えるのは苦しかった。
可能性は両方あるのだ。ワクチン接種が良い方向に働いて、両親がコロナから助かる可能性、考えたくもないが、ワクチン接種が悪い方に働く可能性。

ぼくが断固として、ワクチン接種を両親に拒絶させた後に、コロナにかかって大変なことが起こる可能性もある。

しかし、ここで、ポジティブな面のみを見て、ネガティブな面を見ないのは違う、とぼくは思った。

多くの歳をとった男はみんなそうかもしれないが、父は頑固だ。一度決めたら、路線変更は恐らくしない典型的な昭和の男だ。だから、ぼくの話に耳を傾け、自分の意思を変える可能性は低いだろう。
母は、心配性だから、恐らく非常に悩むことになるだろうと思ったら、やはり案の定そうなった。

ぼくと主に母との、打つべきか、打たざるべきかの議論はまだ続いている。
ぼくが打つべきではないという論拠をネットから探して母に提示すると、母は打つべきという論拠を新聞から探し出して、ぼくに言う。

ぼくたちは、自分が見たいものを見て、信じたいものを信じているに過ぎないのかもしれない。

例えば、太平洋戦争の時、理屈として日本が敗戦するだろうという予想を立てていた人はきっといたのだろう。
それが真理だとしても、それを信じるのは、あまりに辛い。
たとえ真理でなかったとしても、日本の勝利を信じたほうが希望を持てるのだから。
でも、そんな真理に背いた希望に縋り付いたが故に、多くの犠牲が生まれてしまったのではないか。

もちろん、これは現在から過去の出来事を見て言っていることだから何とでも言える。

両親には、偉そうだが、最終的には自分で判断するしかないよ、と伝えている。
ワクチンを接種する自由も、接種しない自由もある。それは両親にも、ぼくにも、あなたにも。
一番恐ろしいのは、それを選べる自由が無くなることだ。



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