過自省

 お久し振りです。note書いてなかったね。最近会社の同僚に、「何かをしたい」がモチベーションならその「何か」が楽しくなくても別にいいじゃないみたいな話をされました。
 何いってんだって思うかもしれませんが、僕もnoteを書く理由は「何かを残したい」とか「何かを形にしたい」であって、別にものを書くこと自体が楽しい必要はないのだろうと思います。もちろん楽しい方がいいとは思いますが、「楽しくなければならない」は違うわけで。そもそもこういう義務意識はキモいよねって話はありますね。
 いや話が長い上にまとまりがない。要は楽しくなかろうがなんか書けよなって話。書こっか。

 僕は自己評価が低く自己嫌悪しがちな人間なのですが、多分そういうのは「自省」の暴走によるものなんじゃないかなとかふと思った話をします。
 低い次元の話だと思って欲しいのですが、僕は自分で思うよりは人と話せるし、よく笑うし、明るい人間なのだろうと思います。思ったより人に好かれるし、尊重されて生きてきました。実際、よくよく考えると人と話している自分は割といいやつな気もしてくるんですよね。
 ですが、あとからその自分を見返すとき、僕はなぜか自分の粗探しを始めているような気がします。他人に苛立った自分を責め、デリカシーに欠けた失言をした自分を罰し、他人の関わりを自分本位に考える自分に辟易します。そして自分の良い所に目を向けようとしない。
 多分傲慢なんですよね、自分を高く見積もりすぎている。そしてその認知の歪み自体を温床として、傷が広がっていくわけです。

 言うまでもないかもしれませんが、こうして文章を書けるのは「自省する自分」だけであって、結局の所そうでない自分はこうして文章を書いたときに決して表れない。
 難しいもんですね、冒頭で何かを残したいとかそれらしいことを宣っておきながら、自分を満足に表現して残すことすらできない。ですが、それも傲慢なのかもしれません。

 思ったことを出来うる限りそのまま残す程度のことしかできないと思いますが、またなにか書きたいですね。不要な自省が少ない僕とは文章ベースじゃなく会話ベースで会ってあげてください。きっと僕も嬉しいと思います。また気が向いたらTwitterのスペースとか…するかな…どうだろ……

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