読書録、時間と脳

 まーた書かなかったから文章のテンションがわかんなくなりました。あんまり気負いたくないので適当に書いていきますね。

 今回は「意識はいつ生まれるのか」、「ファスト&スロー」を読んだので適当に書きます。なんとなく、脳とか認知とかそういうテーマ。前者は意識の発生理論について、後者はノーベル経済学賞をとった方のミクロ経済学の本ですね。

 以前Twitterで紹介した「偶然と必然」、これはノーベル賞の生物系の人の本で、面白いのでオススメなんですけど、そこには生物学の課題として「生命の発生」と「脳の構造」の二つが挙げられていました。進化の一番最初と現時点での最高傑作ですね。確かに二つとも興味深いなぁって思います。この辺は個人の感想として適当にとらえて欲しいんですが、個人的には前者の方が難しい、いや難しいも表現微妙なんですけど、キツそうだなって思います。普通の化学反応の類と違って、複製機構は1セット生成すればあとは増えていきますから、そのスケールでは偶然があまりにも強く出てしまい、再現性のある検証は難しいでしょう。その前段階の、複製機構の材料ができるメカニズムとかはそこそこ研究があるらしいですけれど。

 いや脇にそれましたね、脳の話です。どちらかと言うとこっちの話の方が観察対象自体はたくさんあるわけですし研究しやすいんじゃないかなって思ったりします。本の話しましょうかそろそろ。

 1冊目「意識はいつ生まれるのか」、これはどのような構造から意識が生まれるかの理論と、その実証実験についての本です。面白いんで詳細は読んでください。要は脳のニューロンがいくつかのモジュールに別れるのも全部同じ強度で繋がってしまうのも、入力に対する出力のバリエーションは小さくなるから情報量少ないよね。だから意識は分割と統合が微妙なバランスでなされて最大の情報量を処理するときにおこるんじゃない?みたいな話です。こういうバランスのとれた構成になっている場合、刺激入力に対して応答まで時間がかかり、複雑な脳波が一定の期間に渡り見られるらしいです。

 これを読んで思うのは、情報的な多様性が最大になるのは全てが等しく繋がる時ではなく、適切に分離と統合がなされるってとこですね。人の共同体も同じかなって思います。あんまり引きこもってばかりじゃダメですけど、みんな仲良くってのも多様性を潰すよねって思います。単純化してnCxが最大になるのはxがn/2の時、とかTwitterで言った気がします。そういう話ですね、別にみんな仲良くする必要はないよねって思います。僕はまあ人と関わらない方向性が最近強めなんで関わったほうがいいかもしれないっすけどね。

 2冊目「ファスト&スロー」、要は経済学が仮定するような合理的な人間なんぞとこにもおらんやろって本です。システム1 = 単純応答による早い反応系とシステム2 = 熟考する遅い反応系の話、ここで提唱されるヒューリスティクスとかバイアスみたいな話は結構よく聞くやつですね。あとヒューマンとエコン、純粋な利益追求ができないプロスペクト理論。それから経験自己と記憶自己の分裂。自分用のまとめになったんで読むかググってください。多分著者は嫌がると思うんですけど、1冊目を読むとシステム2を大脳あたりに、システム1を小脳の方になんとなく当てはめたくなりますね。そしてそれほど大きく外れてはいないんじゃないかと思います。

 この辺を読むと、脳に信号が入力されてから応答が返る時間、これがあるから人は時間を「体感」するのではないかとか思ったりします。例えばプログラムが実行時間を測るとすると、プログラムの開始時と終了時に時刻を測定して差分を出しますが、実行中は時間は関係ありません。つまり、処理が即座に終わるプロセッサと記憶装置からなる系において、時間は点としては感知できても、線として感知することはできません。人の脳が時間を連続的な存在としてとらえているのは、外部刺激の信号が脳内の複雑な経路を時間をかけて巡るためじゃないかと思うんですよ。前の信号があるうちに次の信号を受け、そうやって時間的に広がりを持った情報が同時に処理されているんじゃないかって。

 この話は「ファスト&スロー」の経験自己と記憶自己の分裂の話にも繋がるように感じます。ここの話は、記憶中の快/不快の程度と体験中の快/不快の積算が全然違うと言う話です。著者の理論は「ピーク&エンド」理論、持続時間に一切関係なく、ピーク時と終了時の感じ方の平均で記憶の快/不快が決まってしまうというものです。とても面白い話で、苦痛を無駄に増やしても、緩やかな苦痛で終わった方が思い出としてはマシになるそうです。

 先ほどの話をここで考えると、時間を体感しているのは経験自己だけなんですね。記憶自己は記憶装置から体験を引いてくるわけですが、そこには特徴量がいくつか入っているだけです。そこに時間的な広がりはおそらく少しも存在せず、著者の実験からピークとエンドの情報だけが格納されているのでしょう。体感的にも結構納得できる気がします。

 寝るときには脳波はどの部分でも同じ動きを取り、多様性と時間性を失い、意識は消えてなくなります。起きたとき、我々には時間の経過を「体感」するすべはなく、ただ時刻の差だけが時間の進みを教えてくれます。ドラマなどで最期の患者を看取るシーンでは、脳が活動を停止する前のパルス脳波のイメージがよく見られます。あれはすでに時間的な広がりを失い、人間である証左としての意識を持たぬ死人の脳を写しているのかもしれません。夜のまどろみの中、眠った時を知らぬように、僕らはまどろみの中眠るように死を受け入れるのだろうと想像してみたりします。その時に人生を振り返って、一体なにに幸福を感じるんでしょうね。ピークエンドの法則に従うんでしょうか。走馬灯とはピークの投影なのかもしれません。考えても仕方のないことだと理解していながら、そんなことを考えてしまったりしました。高二病とかそういうやつですかねこれ。

 概ね書きたいことは書いて満足しました。本の内容説明をする気がなく、脇道にそれてばかりのこんな拙文を読み切ってくれてありがとう。僕はこういう話を自分から口にすることはほぼないですが、話したい方がいれば声かけてくださいね。では、さよなら。

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