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睡眠薬マイスリー断薬について②

少し日にちが空いてしまいましたが、
前回の続きです。
よろしくお願いします🙇‍♀️

睡眠薬がとうとう手元に1錠も無くなり、ここを断薬の
スタートと覚悟を決めて頑張ることにしました。

15年程飲んでいたマイスリー。
睡眠は完全に薬に頼り切っていて普通の自然な入眠の仕方なんて忘れていました。
薬無しで眠れるこの世の大多数の人に対して憧れを持つほどでした。

断薬はかなり壮絶でした。

まず最初の2ヶ月は全く眠気が来ず、一睡もできないまま徹夜で朝を迎える日が2日ほど続き、3日目にやっと眠気がきて何とか数時間は寝れるというようなパターンの日々が続きました。
長年完全に薬に頼りきりで、薬を飲まず眠れる自信は全く無かったし、これは想定内のことだったので、無理に寝ようと焦らず、朝まで寝れなくても良いや、と思うようにして夜中じゅう読書をしたりスマホで動画を見たりしていました。

仕事をしていなかったことはとても大きかったです。
仕事をしながら一睡もせず出勤するとなると身体的にももちろんですが精神面がとても持たないと思いました。
朝出勤しなきゃいけない、寝たい、早く寝なければ、と焦る状況ではないことは本当に有り難いことでした。
ですが、朝起きる時間が関係無い身であっても、一睡もできず悶々と朝を迎えるのは気にしないようにしてもやはり相当苦しかったです。

この頃、医学界の異端児?で有名な内海聡医師の本を何冊か読んでいたり動画でうつみんが睡眠薬を断薬したかったら「薬をやめたら寝れなくなるのは当たり前、寝るな!」と言っていらっしゃったその「寝るな!」の言葉には随分力をもらいました。
「寝れなくても仕方ない」の消極性ではなく、
「寝るな!寝ちゃいけない!これしかない!」のシンプルな言葉は「寝れなくてもこれで良いんだ」という安心と同時に断薬へのモチベーションを高めてくれました。 

開き直っているつもりでもやはり寝れない毎日は不安だったし、ブログなどを読むと「絶不眠」という状態が何年も続いている方もいらっしゃるようで、自分もそうなるのではないか、本当に以前のように自然に毎日寝れるようになるのか、という不安は頭から離れませんでした。

一気断薬をするしか仕方なくなったのは、手元に1錠も薬が無くなり、切望していた断薬をそこから始めようと決めたことから始まりましたが、その後診療内科に行けばまたマイスリーは貰えました。
で、誘惑に負けて飲んでしまったことも何回かありました。
ですが、もう1錠では効かなくなっていたので2錠3錠と飲んでしまう、多い時には5錠です。
そしていつものパターンで朦朧として夜中に何か食べ散らかしてしまう、ということが起こります。
目覚めもとても悪くて気持ち悪い。
今の私にとって睡眠薬をたまに飲むことさえももう限界だと感じていました。

一般的な減薬は薬を飲む量を少しずつ減らしていくやり方だと思うのですが、とにかく体から早く薬を抜きたい思いがある中、私は0か100かみたいな性格がありまして、少しでも飲むのなら薬を効かせたいと思ってしまうのです。

こと睡眠薬に関しては、飲むなら眠気が来てほしい!眠気が来ないなら1錠も体にいれたくない!と思ってしまい、そもそも(処方量の)1錠でも効かないのに量を減らしたら効くわけはなく、離脱症状をなるべく抑える為には一気断薬よりは少し薬を体に入れたほうが良いのでは?と隔日法で数日空けて1錠飲んでみても効かないのでまた追加で数錠飲んでしまうということを繰り返して、私の場合は少しずつの減薬ではなく、全く飲まない選択しか無いという決断に至りました。

一気断薬はとても危険と言われています。
マイスリーは非ベンゾジアゼピンとなっていますが、
長年飲んできて感じてきたのはベンゾと何ら変わらないという感覚です。
どこかでマイスリーはベンゾよりベンゾ、などという言葉も聞いたことがありましたがあくまで私の感覚ですが私もそう思います。15年飲んできてしまったことも大きかったと思いますが。

15年毎日飲んできて、いきなり1錠も飲まない一気断薬をした離脱症状(禁断症状)はこの後も続きます。
またこの続きを次回書きたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!🙇‍♀️



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