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週刊金融日記 第512号 プーチンの血塗られたチェチェンやシリアでの過去が凄まじい、ロシア軍は戦略変更し市街地へ爆撃開始、海外旅行に行けなくても錦糸町があった、スイスがプーチンの資産凍結、他

// 週刊金融日記
// 2022年3月7日 第512号
// プーチンの血塗られたチェチェンやシリアでの過去が凄まじい
// ロシア軍は戦略変更し市街地へ爆撃開始
// 海外旅行に行けなくても錦糸町があった
// スイスがプーチンの資産凍結
// 他

 こんにちは。藤沢数希です。
 目まぐるしく戦況がかわる、ロシアによるウクライナ侵略戦争ですが、限られた兵力と武器ですが、士気と練度が非常に高いウクライナ軍がいまのところ善戦しています。対して、逆らえばプーチンに処刑されるロシア軍も、物量にものを言わせて、着々と進軍しています。そして、今週はロシア軍によるウクライナ市民への無差別な空爆が激化しそうです。

★「人道回廊」がひどい使われ方をしたのは、シリアでの紛争を見ていた人には常識です。

★ロシア国内での情報統制が強まってきました。

●ロシア軍、民間無差別攻撃で投降迫る シリア内戦に手法類似 住宅やインフラ標的
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN04F950U2A300C2000000/

 今週も読者から興味深い投稿がいくつもあります。見どころは以下のとおりです。

- 就職活動の面接で「好きな本は『ぼく愛』です」と言っていいでしょうか
- ウクライナ戦争で株は押し目買いでしょうか
- ロシアのルーブル無制限供給はMMTの実践ですよね
- 年収1200万円ですがパワハラで適応障害になりお休み中です
- 実子ができない妻への愛情が冷めてきました
- 匿名ウォレット上のDeFi運用の収益の税金について
- プーチンは戦争を仕掛ける前に個人資産をうまく隠したのでしょうか
- 恋愛工学の実践こそが我々ができるSDGs

 それでは今週もよろしくお願いします。

1.プーチンの血塗られたチェチェンやシリアでの過去が凄まじい

 良くも悪くも人々の関心が一気にコロナ禍からロシアによるウクライナへの侵略戦争に変わった。そして、僕も含めて、にわかジャーナリストたちが、いろいろとその背景を解説している。それらは、第一次世界大戦や第二次世界大戦などでのロシアの歴史を解説し、ソ連の崩壊とウクライナの独立、北大西洋条約機構(NATO)による西側陣営の軍事同盟とプーチンのロシアとの対立を紹介し、ウクライナがNATOに入ろうとしたことからプーチンが危機感を強め、戦争に至った、などというお手軽ストーリーとなっている。

●北大西洋条約機構(NATO)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nato/index.html

●ソビエト連邦の崩壊
https://w.wiki/4vNH

 僕もにわか評論家のひとりとして、そうした「よくできた」解説を読み、なんとなく納得していた。しかし、僕がフォローしている一連の信頼できる紛争や地政学、軍事の専門家たちは、こうしたにわか評論家たちの解説をとても冷ややかな目で見ていた。なぜ、僕がそうした専門家のクラスタをフォローしていたかというと、かつて「イスラム国」について調べた経緯があったからだ。

●サルでも3分でわかるイスラム国の歴史、2015年2月3日
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52039311.html

 僕たちのようなフォロワーの数だけは多いにわかジャーナリスト連中は、プーチンの発言や行動、ウクライナ国民に対する無差別爆撃に恐れ慄いていた。そして、核攻撃も辞さないと言うプーチンは、とうとう狂ってしまったのではないか、と思った。しかし、こうした分野の専門家たちは、非常に冷静にプーチンの侵略戦争を見ており、次に何が起こるのか、を的確に予言し、それらが実際にその通りになっていった。
 こうした専門家クラスタの発言を手がかりに、プーチンの過去に関する記事や書籍をいくつか読み始めたところ、すぐにウクライナ侵略はこれまでのプーチンの政治活動の延長線上にあるものである、と理解できた。プーチンは最初からずっと変わっていないのである。言うまでもなく、全体主義や独裁政治の維持には暗殺や大量処刑などを実行する秘密警察の存在が不可欠であり、ソ連時代からのこうした伝統を引き継ぐ諜報機関でキャリアを積んできたのが、他ならぬプーチンである。
 以下は、プーチンが大統領になる際に重要な事件となった、1999年に起きたロシア高層アパート連続爆破事件とチェチェン戦争に至る経緯の引用である。

「古今東西、権力者の支持率を上げる常套手段とは『敵』を作ることだ。プーチンは1999年8月9日に首相に任命されたが、その前々日の7日に、当時、事実上(第一次チェチェン戦争で勝利することによって)独立していたチェチェン・イチケリア共和国の武装集団がロシア連邦の一部であるダゲスタン共和国へ侵攻した。
 しかし、それだけでは当時のロシア世論を好戦的にして、指導者の周りに結束させるには不十分だった。なぜなら当時のロシア人の認識では、侵攻した武装集団を追い出して、チェチェン共和国からロシアへの侵入を防ぐだけで十分だったからだ。当時の世論は大規模な戦争を望まなかった。しかも、武装集団の侵攻は指導者の独断であり、チェチェン・イチケリア共和国大統領のアスラン・マスハドフは侵攻に反対で、武装集団の侵攻を批判した。彼は8月から9月の間に、ロシアに対して戦争の阻止を呼びかけ、ロシア政府に和平交渉を申し込んだ。
 だが、FSB(ロシア治安機関、旧KGB)がこのような絶好の機会を逃すわけがなかった。1999年9月前半にロシアの四カ所で民間マンションが爆破され、合計307人が死亡した。ロシア政府はすぐに、チェチェン系テロリストによるテロ攻撃だと発表した。ロシアメディアは一斉にテロに対する恐怖を誘導し、『対テロ』戦争を煽動して世論は集団ヒステリーの状態になった。そして、この状態でプーチンが国民をテロリストから守る「強いリーダーシップを発揮できる指導者」としてメディアに映されはじめたのである。9月30日にロシア軍はチェチェン共和国の国境を越えて、第二次チェチェン戦争は始まった。そして同時に、プーチンの支持率が上がり始めた。この経緯だけでも、民間マンションの爆破がFSBの謀略だったのではないか、という疑いが生じる。

 (中略)

 これらの経緯をすべて並べて考えると、一連のマンション爆破は、戦争の危機を煽動してプーチンを選挙に勝たせるための、FSBによる謀略だったということを疑う余地はないだろう。恐ろしいことに、FSBが謀略の実行中にこれほどのへまを重ねたにもかかわらず、謀略は成功し、プーチンの支持率は実際に上がり始めた。多くのロシア人は国家のプロパガンダを信じ、対チェチェン戦争を支持してしまった。何万人もの民間人の死をもたらした第二次チェチェン戦争が、プーチン当選の要となったのである。」

-- プーチンはどのように大統領になったか、『プーチン幻想』グレンコ・アンドリー
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●ロシア高層アパート連続爆破事件
https://w.wiki/4vNf

『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』常岡浩介
https://amzn.to/3pGZbz0

 僕は多くのにわかジャーナリストたちと同様に、平和ボケした世界でのうのうと生きている人間であるので、民衆の支持を得るために政府機関が数百人の市民が死亡するテロを自作自演し、戦争を起こし、ある民族の10-20%、人口にして10万人以上を虐殺するなどという話は荒唐無稽であり、まったく信じれない、と言った感想を最初は持った。
 しかし、プーチンに戦争の口実を与えたロシア高層アパート連続爆破事件は、チェチェン人のテロリストが起こしたというのはまったくのでっち上げであり、その後にチェチェンで民間人の大量虐殺や拷問がプーチンが統率するロシア軍と秘密警察によって実行されたことは紛れもない事実である。また、ロシア高層アパート連続爆破事件にプーチンが所属していた諜報機関が何らかの関与をしていたこともほぼ確実である。しかし、それがプーチンが主導したのか、あるいは、たまたま起きたテロ事件を、チェチェン共和国に戦争を仕掛ける口実に使っただけなのかは、まだはっきりとした証拠がないように思える。
 ちなみに、元FSB職員でイギリスに亡命し、核施設がないと手に入らない放射性物質により非常に苦しむ方法で暗殺されたアレクサンドル・リトビネンコは、ロシア高層アパート連続爆破事件が自作自演であることを証言しようとしていた人物である。他にも、このテロ事件のおかしな点を調べていたジャーナリストたちは次々と不審死している。

●アレクサンドル・リトビネンコ
https://w.wiki/4uMr

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