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チャンネルを回す

昭和30年代、テレビはあった。

今では考えられないくらい重くて、ときおり貞子が飛び出てくるのかと思うほど、画面がシャーザァーと乱れるブラウン管テレビ。

目の前で怪獣が炎を噴こうが、お侍が血しぶきを上げようが、かわいい歌手がバラの花に包まれていても白と黒だけのテレビ放送。

昭和40年代、定食屋の店内、見上げる天井近くにカラーテレビが登場し、やがてボクの家にもカラーがやってきた。巨人の星の主人公、星飛雄馬の目に、赤い炎を感じるころ、ボクは小学校低学年だった。学校が終わると、家に帰ってランドセルを置き、学校近くの公園にまっしぐら。3時のおやつなんて上品なものはない。駄菓子屋でガムや飴、手がべたつくスルメを買って、口の中にほうりこんで夕方まで友達と遊んでいた。

たぶん、時間帯が違うんだろう。小さなこどもとお母さんはあまりいなかった気がする。きっと野球ボールやサッカーボールが飛び交い、弾丸のように公園内を走り回るボクたちは危険な存在だったんだ。そんなボクたちをターゲットにして、公園に商売おじさんたちがやってくる。

飴細工おじさん、針金細工おじさん、型抜きおじさん、粘土型おじさん、金魚すくいおじさんだ。

当時はこどもが街にあふれていて、どこの公園も大賑わい。おじさんたちも重ならないように動いていたのか、同時に現れることはなかった。誰もが思い浮かべる紙芝居おじさんはすでに化石的な存在で、ボクの記憶でも1、2回しか出会ったことがない。

自転車でやってくるのが、飴細工おじさんと針金細工おじさん。

どちらのおじさんもスタンドを立て、後部座席の箱を展開。舞台のようなお店があっという間にできあがる。熱い飴がおじさんの手の中で、ぐにゅーとのびて、U字型の握りばさみがパチッパチッと音をたて、鳥や蝶々に変わっていく。かたい針金がペンチで曲げられ、折られて、自転車やピストルに変身する。針金に輪ゴムがかけられて、自転車の車輪を回したり、ピストルの弾になったりしてた。ボクたちはおじさんの魔法の手の動きに見とれ、口をあけ、完成した作品に驚き、目ン玉をおっぴろげていた。

子供心に火を付けたのが型抜きおじさん、粘土型おじさん、金魚すくいおじさんだ。

型抜きおじさんは独特の言い回しと話術の持ち主。お金を渡すと、おじさんは手に持つ空色の型の束(SDカードを二回り大きくした感じだったかな)を指先で数えるようにはじき、1枚をピックアップする。「おっ、傘やな。柄のところがうまく抜けたら50円や」とボクたちに賞金額をつげる。しかも無造作な手つきでパキッパキッと型の半分くらいを折りとって「サービスや」と型を渡す。ボクたちは片方の手のひらに型、もう片方の手に虫ピンを持ち、うまく抜けたら賞金だと、公園の四方に散る。膝の上に置いたり、平らな石の上に置いたりして、慎重に慎重に型の溝を虫ピンで削っていく。でも、傘の柄も象の鼻も最後の最後にポキッだ。あ~と叫びながら、割れてしまった型を口にほうりこんでいた。甘いミント味なのに、なんだかしょっぱい…

粘土型おじさんはいつも木箱を背負ってきた。箱の中には、キャラクターや生き物、乗り物が粘土でくりぬける石膏型がある。大きさはトランプ半分くらいから文庫本サイズまでいろいろ。ボクたちはおじさんから予算にあわせて型を買い、粘土と何種類もある紙に包まれた着色粉も買う。金色と銀色はちょっと高い。型に粘土を埋め込み、くりぬいて、面相筆を使って、粉で着色していくのだ。おじさんが一定時間ごとに手持ちの鐘を鳴らす。ボクたちは着色した粘土作品をおじさんの前の画板に置いていく。おじさんがう~んと首をひねりながら作品をながめる。そして作品を手に取り、点数が書かれた札を置いていくのだ。その点数にボクたちは一喜一憂。なんせ点数がたまれば、超ビッグで超人気の型が手に入るのだから。いま思えば、作品評価のたびに粘土はおじさんの箱の中に消えていたし、点数がたまるころにおじさんは別の公園に行ってしまうし…型抜きおじさんも粘土型おじさんもぼったくりじゃないかと今さら。当時はそんなことなんてわかりもしない、単純におもしろかった。おじさんがいなくなると、次はいつくるんだとワクワクしながら待っていた。こづかいを巻き上げるおじさんたちの中で、

金魚すくいおじさんは良心的だった。

お祭りの露店金魚すくいの半分以下の料金。おじさんは銀色の大きな箱型リヤカーを、重そうに引きずりながら登場する。公園の片隅にリヤカーを止めて、リヤカーの荷台が地面と平行になるように固定する。銀色の箱は夜店と同じ水槽。箱のふたを外すと、目の前にオレンジ色の金魚たちの群れ。水槽の横の小さな箱、その箱の引き出しからポイやアルミのボウルが出てくる。針金を丸くしたポイの根本は90度以上にまげられ、習字筆のような細竹に差し込まれていた。ポイの紙がダメになると、おじさんは細竹からポイを引き抜き、新しいポイを差し込む。手で微妙に角度を調整してボクたちに渡す。ボクたちはおたまを持つようにポイを持ち、金魚をすくう。すごいアイデアだ。ボクたちの手はぬれることはないし、水槽のなかの水も汚れることはなかった。低価格で金魚すくいができるおかげで、ボクたちは金魚すくいが得意だった。ボウルのなかはいつもオレンジ色に染まっていた。自己申告でおじさんにすくった金魚の数を伝える。おじさんはポイント券をくれる。ポイントをためて、大きなデメキンをもらうこともできるし、ポイント券一枚で水槽のなかの金魚をもらうこともできた。でも、ボクも友達もポイント券と金魚を交換したことはなかった。ボクたちは誰も家に水槽がなかったから。ポイント券をためて、大きなデメキンを持って帰った友達は母ちゃんにしかられ、家の前の用水路?に放流したらしい。

金魚すくいのコツは、隅にいる動きの鈍い小さめの金魚をターゲットにする。隅にいなければカラダの影を使って隅に追い込む。そしてポイの入水角度。金魚をすくったときのボウルとの位置関係…いろいろあるけど、ボクたちは数をこなして身につけた。ポイがやぶれてほどんどなくなっても、ポイの枠だけでも金魚をひっかけたり、追い込み漁のようにポイを動かして、金魚自らがボウルの中にダイブする必殺技もあみだした。必殺技はおじさんに絶対見られてはダメな技、おじさんが他の子どもの相手をしていたり、視線をそらしたときだけに使ってた。

おじさんたちのおかげでボクたちは公園で遊ぶのが大好きだった。おこづかいがないときは、遊具で遊びながら、他のこどもたちが型抜きやねんど、金魚すくいをするのを見てた。見てるだけでもおもしろかった。

日が暮れるまでは公園。夜はテレビ。チャンネルを回すテレビだった。回すたびにカチッカチッと感触が伝わる。無造作に扱われたチャンネルは、やがて根本がゆるくなり空回りもした。父や母がチャンネルの軸にガムテープを巻く。そんな光景を今でもはっきり覚えている。いい時代だった。


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