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10月14日。(木)。朝5時。自宅で湯灌と通夜。

父を自宅で看取った前後1ヶ月の記録。


ここ10日間、妹と看病を交替するために、4時半に起きていたので、この時間に目が覚める。

緊張が溶けてゆっくり眠れるようになるには、もう少し日がかかるのかな。

一昨日、葬儀社の方とお話して、父の葬儀を自宅で行うために決めたことを、それはそれは丁寧にしてくださった。

闘病中一度もお風呂に入れなかった父のために、湯灌(ゆかん)をしてもらった。

映画のシーンのような、素敵な時間だった。

髭をそり、頭を洗い、体も隅々まで洗ってもらった。そして、父が旅立てるように整えていただいた。

棺桶の中には、父が誇りにしていた仕事であるJRの制服、卓球の試合の時に使っていたジャージ、ピンポン玉、お見舞いでいただいた本(亡くなった後に届いたので、天国で読んでね、と)などなどを入れた。(お酒は入れ忘れたので、告別式の後に入れるように準備)

本当に綺麗にしていただいて、お願いして良かったなぁと思った。

部屋の準備も、素敵だった。

布をはって、素敵な会場を作ってくださった。

八畳の和室が素敵な会場となった。

父からは、「家族だけでひっそりと、家で。」と、申し送られていたのだけれど、直前に父がたくさんお別れの電話をしていたので、その方々が、通夜や告別式に焼香だけでもさせてほしいと言ってくださったことで、外に焼香できる場を作っていただいた。

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初めてのことだらけで、教えてもらうことばかりの私達に変わって、葬儀社の方が着実に、優しく進めてくださった。

頭が整理しきれず、何度も質問するんだけど、ずっと優しく教えてくださった。

本当にありがたい。

出会って2日目なのに、すごく安心するおじさんだ。

おじさんから言われた物を用意したり、死亡届けを出したり、職場に連絡したり、と、あっという間に時間が過ぎていった。

お通夜は、ありがたいお経をあげてもらい、とどこおりなく済んだ。

ほっとひと息。

「あと2日看護が続いていたら、葬式の準備で倒れていたかもね。」と、父がいよいよにしんどそうになってからすぐに逝けたことを話した。あと数日は、ほとんど寝たままになるはず、と、妹に聞かされていたけれど、寝たままにならずに旅立ったので。

あとは、今日の告別式と、火葬場へ行くのと、初七日。

また、長い1日。

両方の職場を10月いっぱい休みにしてもらったので、母の支えをしながら、自分の心と体も整えていくつもり。

父とは最後までケンカしていたけれど、私と父らしい終わり方だったんじゃないかな、と、思っている。

実際、夜に苦しんでいるの見て、怖くてよう触らんかったし。意思表示ができなくなってきたら、何やっても気に入らなくて、怒ってたとしても、それを伝えられなかったと思うので申し訳ないな、と、思ったから。悶えて言葉が出ないのに思いの反対のことしでかしそうで…😅

ほんと、めっちゃ怖かった。

当たれるところに当たることで、理性を保っていた部分もあるんだろうな、と、思うし、私に当たることで、母にはわりと最後まで八つ当たりもしなかったので、それはそれでバランスが取れてたのかもしれない。

ま、私が下手くそすぎるということが一番の原因なんだろうけれど。

まあ、もう、これで、怒られなくていいし、外の人には、面白いおっちゃんのまま逝けたから、いいんじゃないかな。

ほんと、疲れたね。

でも、悲しみにくれるってのとは、なんか違うんだよね。

12日もあったから、そのなかで、既にお別れはしてきたからね。

私だけでは、自宅で看取りは無理だ。

コロナで会えないというのでなければ、妹もこの決断はしなかったと思うけれど、やって本当に大変で、私には無理ってよく分かった。

父は、とことん幸せやったと思うけど、ほんとに大変だったもの。

みんな、おつかれさーん。

今日、1日、また、いい日でありますように😃

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