10月11日(月)、朝4時。薬が効いてその前の晩は穏やかだった。

父を自宅で看取った前後1ヶ月の記録

兄と妹のLINEで目が覚め、妹と交替。父は、睡眠中。

昨夜は、薬の調合がうまくいったのか、眠りはしなかったが、私と替わった時にはせん妄もなく、穏やかだったので、これでいい感じでいけるのかな、なんて、今朝は呑気に起きてきたら、今度は、衰弱が進んでいて、夜は立って尿器で尿をとることもままならない状況だったという。

それで、一緒にポータブルトイレを設置した。(ポータブルトイレでの用のたし方は、島でお隣さんから習ったので安心。ありがと。)

飲むこともままならないそうで、スポンジで口を湿らせていたとも聞いた。

また、難しい状況になったみたい。

「いざとなれば起こして。」

と、妹から言ってはもらったけれど、休ませてあげたいし、なんとかしよう…。

4時前に尿をとったということなので、次に起きるのは6時頃。母が起きる時間に父も起きますように、なんて、祈っておこう(笑)

昨日は、父は、いよいよに自分の人生が短くなってきたと思ったのか、朝から電話魔のようになって、気になっていたところに何件も電話していた。立て続けに電話できるわけではなく、電話をして、ベッドに戻って休むというのを繰り返していた。

電話中は、アドレナリンが出るのか、声がすごく元気で、死を前にしている人とは信じてもらえない感じ。

朝に電話をした父の友達が、昼過ぎに来てくれて、また、嬉しい時間を過ごしていた。

話を聞いてくれる母が大好きで、目が覚めた時に、2回ほど、母がいないと不機嫌になっていた。だが、「寂しいんやろ。」と聞くと、素直に「そうや。」と認められる状態だった。

私は、父の中では役立たずのポジションで、主に母と妹がいない間だけ、お世話をしているので、母にみてもらえないのは、私のせいだ、くらいに思っているみたい。

まあ、「母と妹が散歩行ったり、ちゃんと寝たりすることはだいじやろ」と、なだめると一応、不本意ながら、あきらめている。

実家での、クールでしっかり者の一恵ちゃんってポジションは、こうやって作られてきたんだなぁ、と、改めて思う。

夫と結婚してから、ヘタレであんまり頼りにならない私になっているけれど、実家での方が、自分を鼓舞してがんばってたんだなぁなんて、思う。改めて夫に感謝だわ。

母ができない作業は、点滴の付け替え作業(妹が寝ている間に一度しなければならない)と、胃から液体を出すためのチューブから排泄される液体の廃棄作業。それ以外は、母ができるようになったので、主に母がしている。

洗濯は、母のこだわりがあるので、洗濯している時も、私がみてる。(父は不本意そうだけど😅)

父は、今、うちわがお気に入りで、とりあえず、手元にうちわが必要。また、氷枕で常に頭を冷やしている。氷枕は、3つをとっかえひっかえ使用。(熱は平熱)

口が乾くので、口を湿らせるために、湿らせた大根葉をくわえている。結構滑稽な絵で、昨日、突然「ユーチューバーになって配信しようか。」なんて言うので、「それをあげたら大ウケしそうやな。」と言うと、大笑いになった。

夕飯時は、昨日も、テーブルにつき、ビールを飲んだ。すぐに疲れて一旦休んでいたけれど、休んだら元気になったと、また、座りに来て、饒舌にしゃべっていた。(ユーチューバーになろうかってのは、その時の話)

兄が仕事のため帰ったので、「今日は、寂しいなぁ。」と言っていた。兄がいる時に言ってあげておくれ。

兄が父が亡くなった後について、心配のないように色々と動いていることが相当嬉しいようだ。

反発しあって、しょっちゅうケンカになっていた二人が最後は仲良くできているのが、見ていてもありがたい。

「父のためにみんな大変だったのに、そんな父を看取るために、みんなががんばっているってすごいことよねぇ。」と、母が呟いていたが、ほんとに、そう思う。

私は、妹ががんばる言うてるから、巻き込まれようって決めただけだけど…。

父は、5人家族が20年ぶりに結成されていることが嬉しくて仕方ないし、良かったのではないかな。

私は、年末に友達とグアムに行ってて、帰ってきたら、誰も駅に迎えに来てくれず、タクシーで帰ってきたら、ビールの缶が流し場に転がっていた光景を思い出す。

飲みながら母や妹が、「あの時は大変だったぁ。」と、涙ながらに子育て期を振り返るのが定番だったな。兄が大人になって、父がもしもキレても兄が力で止められるようになって平和が訪れた気分になってた。

父は、自分の思った人生を子どもに歩ませたいのに、子どもが誰一人言うことをきかなかったので、腹が立って仕方がなかったからなぁ…。

特に、青年海外協力隊に行くのと、大崎上島に行くのは大反対だったなぁ。

結婚は、夫が父の好きな高学歴、結構有名な企業の人だったので、大満足だったけど、島に行くために、その、結構有名な企業を辞めちゃって、私も先生辞めちゃうって聞いた時の怒りときたら…😅

先生やってるというのは、自慢だったみたいだから…。先生っていう職業についたことだけが、自分のやりたいことと、父の思いが一致していたみたいだわ。

私は、父みたいに大変な人と結婚してしまっても、先生やったら離婚できるって思ってたんだけど…。万が一のために、通称名字使って仕事の時の姓変えなかったくらい、離婚に備えてた。

それくらい大変な父だったなぁ。

反対されても自分のやりたいことをしてきたので、特に恨みもないけど、父の言う通り生きてたとしたら、それはそれでしんどかったんだろうなぁ。

我ながら自我の強さにあきれるけど、それを見守り、応援してくれた母にも感謝だよね。(島暮らしは、夫婦揃って大反対だったけどね。夫と結婚したことで、私の無茶な行動を夫が止めると思っていたのに、夫婦揃ってこういう行動に出るとは…、みたいな。)

夫が頑張って、島暮らしが軌道にのってからは、怒りは溶けてるけどね。息子達がすくすく育っているのも嬉しいみたいだし。

自分の人生は自分で決めるってだいじだと思うわ。つくづく。

よく寝てくれているので、ダラダラと思いが書けた。

今、5時半。

少し仮眠しよう。

今日が穏やかな1日でありますように。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?