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再び夢を見るための通路ー乃木坂46『人は夢を二度見る』MVまだまだ観つづけてみた

『人は夢を二度見る』MV中毒からやっと抜け出せたかもしれません。昨日は30再生くらいですむようになってきました。あぶなかった。

これだけ繰り返し観ていると、いろいろと発見があるので懲りずに記事を書きたいと思います。よかったらおつきあいください。

ごめんなさい

まずはお詫びを。

この手、久保史緒里と遠藤さくらでした。久保自ら説明していました。
僕は久保と山下美月だと思っていたので間違いでした。ファンのみなさま、ごめんなさい。久保と山下が出会うことによって可能世界の僕たち(君=希望たち)に気づくことができたんじゃないかと考えていたのですが、これも間違いです。何にもわかっていなかった。確かにこのシーンの前に可能世界の僕たち(君=希望たち)の存在に山下は気づいていますね。ということは、可能世界の僕たち(君=希望たち)に気づくことができたのは、彼女たちに囲まれて、暗示か何かをかけられることによってだったのですね。
光と影に分かれていたWセンターが合体することによって人間としてのレイヤーが一段階深まって、それで可能世界の僕たち(君=希望たち)に気づくことができる的な妄想を抱いていましたが…妄想でした。

でもめげずに、そしてこの反省を胸に、記事を書いていきたいと思います。

一度目の夢はどこ?

「人は夢を二度見る」なので、その前に一度目の夢を見ていることになります。視聴者にとっての夢は

幼い頃なりたかった将来とか未来の自分

『人は夢を二度見る』

のことです。
では個人ではなくグループとしての乃木坂46にとっての一度目の夢は何でしょう?

10年前の自分とか
想像なんてできなかった
10年前の僕からは
今の自分がどう見えるか

『人は夢を二度見る』

どうやら10年前と比較しているようです。10年前の3月といえば『君の名は希望』がリリースされています。しかも『君の名は希望』のMV(DANCE&LIP ver.)の監督は『人は夢を二度見る』と同じ丸山健志。と、ここまではすでに記事にしたとおり…。

そして昨日。うたコンに衝撃が走ります。いや、僕にだけ走りました。
まさかの『君の名は希望』からの『人は夢を二度見る』。しかもフォーメーションはほぼ同じでしょうか。(特にWセンターと井上和の位置に注目しました)
これはもう、一度目の夢は『君の名は希望』で確定ということで良いのではないでしょうか。(というか、もう間違えたくない)

新生乃木坂46が『人は夢を二度見る』で夢をとりもどした後に『君の名は希望』をうたう。完全に『君の名は希望』を取り戻しましたね。まさかこんなリレーがリアルに見れるとは。
なんて粋な演出なんだ!
いやあ涙なしには観れません。

ということで、『君の名は希望』(DANCE&LIP ver.)を気合いを入れて観なおしました。

鏡の前に3人。センターは僕。両隣は君。たぶん。

君が僕の存在に気づいてくれたおかげで鏡像界(子どもの世界)の扉が開き現実世界に移行します。

厚い雲の隙間に光が刺して
グラウンドの上僕にちゃんと影ができた

『君の名は希望』

君は光と身体と影を、つまり存在を僕に与えてくれます。この段階ですでに君は完全に希望です。だって君が僕を存在させているのだから。

君に恋した僕はキラキラした世界に移行します。

もし君が振り向かなくても
その微笑みを僕は忘れない
どんな時も君がいることを
信じてまっすぐ歩いて行こう

『君の名は希望』

「君が振り向かなくても」「どんな時も君がいることを信じて」
ん?「君」って誰?最初に登場した僕の存在に気づいた君なら、「君が振り向かなくても」っていうのはしかたない。拒否る権利は君にある。でも「君がいることを信じて」っていうのはおかしい。ここでの「君」は存在しているかどうかあやしいということになってしまう。
ということは、冒頭、物理的存在と思われた君とは、現実世界には存在していないのではないか。

整理します。
まず物理的存在と思われる君が僕の存在を肯定します。それによって僕は鏡像界から現実世界に移行します。現実世界では君はいるのかいないのか曖昧な存在になります。この君はいったい何なのか。

答えは直前に書いてありました。

君の名前は希望と今知った

『君の名は希望』

正解は希望でした。僕は希望に届かなくても希望があることを忘れないし、いつでも僕といっしょに希望がいる(ある)ことを信じると決意します。
そして

何もわかっていないんだ自分のことなんて
真実の叫びを聞こう さあ

未来はいつだって新たなときめきと出会いの場

『君の名は希望』

この境地に至ります。光の中で。

2013年3月に乃木坂46が僕に希望を届け、僕は希望の存在を信じて歩むことを決意しました。

あー!

僕が乃木坂46なら、かつて希望を届けたメンバーが全員卒業してしまったので、視聴者は希望の存在を信じられなくなるかもしれないと考えるのではないか。だから、『人は夢を二度見る』で新生乃木坂46が改めて希望を届けなければならないと考えたのではないか。そうしないと『君の名は希望』は消滅しまい、取り戻すことができなくなる。
今後10年間、改めて希望を届けるために『君の名は希望』2.0を乃木坂46 2.0が届けようと考えた。そうすることによって『君の名は希望』1.0も乃木坂46 1.0も視聴者の記憶に改めて刻み込んだ。

歴史を引き受けようとする覚悟を感じます。何だか尊くなってきたな、乃木坂46。まじ光の中にいる感じ。

メモ
『君の名は希望』の最後の画面ショット、1Fに8人、2F?のギャラリー?キャットウォーク?に8人いるのですが、今だにこの配置が謎です。1Fにセンターがいるので、こちらは僕チーム、2Fは君=希望チーム(なんとなく希望は自分より上にあるような気がする)でしょうか。(自信なし)

ここまでを踏まえ、『人は夢を二度見る』を観直します。

二度目の夢への通路

絶望している表情の僕(Wセンター)。

幼い頃なりたかった将来とか未来の自分
どこで逸れてしまったのか 鏡に映る知らない他人

『人は夢を二度見る』

夢、希望を失って、自分の存在もあやしくなっています。誰も自分の存在に気づいてくれない。『君の名は希望』で「透明人間」と言われていた頃に戻ってしまっています。

そんなとき、君=希望(賀喜遥香と遠藤さくら)が存在を認めようとします。君=希望はそばにいてくれたことがわかります。でも今回の僕(Wセンター)は重症です。それでも絶望から抜け出せません。

君=希望とダンスしていると(というかクルクル回っていると)異世界にジャンプ。たぶん。

異世界。エスカレーターが2列と階段が中央に1列ある。最下層に僕(Wセンター)。エスカレーターと階段中程に君=希望たちが多数います。君=希望たちは最下層まで降りてきます。そして全員でダンス。僕(Wセンター)も踊りはじめますが、自分の手を握ることがどうしてもできません。そして現実世界に戻ります。僕(Wセンター)の心は動いている様子。そして再びジャンプ。山下は海の見える廊下へ。久保は屋外へ。ちなみにこの廊下と、エスカレーターと階段、久保が立つ屋外は全てMOA美術館。
山下にちょっと遅れて君=希望たちが合流。
久保も君=希望たちに囲まれます。

そして久保はついに君=希望と手をつなぎます。山下も久保も視線が上がり笑えるようになりました。楽しそう。やるな、君=希望たちよ。

僕(Wセンター)はまたまたジャンプ。今度はMOA美術館の能楽堂の客席へ。

君=希望たちは消えたり出現したりします。君=希望たち(=夢)の内容はその時々で変わるのでしょう。でも全てが消えることはない。ちなみに上の画面ショットの前面中央の空席、ここは僕(視聴者)の席だと思います。
そういえばWセンター、自分の手を握ることができるようになっています。

そして僕(Wセンター)は最後のジャンプ。行き先はやはりMOA美術館の円形ホール。ここはおそらくエスカレーターと階段を登ったところ。つまりこの円形ホールは『君の名は希望』の最後の画面ショットの場所と重なります。光に囲まれ、希望に満ちているところ。

『君の名は希望』と比較すると『人は夢を二度見る』では、希望スペースと絶望スペースをつなぐ経路がとても丁寧に描かれていると思いました。『君の名は希望』は、移動距離が短く、1Fと2Fの高低もあまりうまく使えていなかったような気がします。というかそもそも経路がフォーカスされていない印象です。

『人は夢を二度見る』の最も基本的な経路は上階の円形ホールと下階の絶望スペースをつなぐエスカレーターと階段のところ。エスカレーター2本はWセンター用。中央の階段は僕(視聴者)用。君=希望たち(=夢)はあらゆる場所に現れます。
10年かけて僕(視聴者)はどん底まで落ちていった。君=希望たち(=夢)は何とか落ちるのを食い止めようとしてくれたけど、僕(視聴者)は彼らの存在に気づくことができなかった。乃木坂1.0の卒業によって信念が揺らいだのかもしれません。実際僕も最近はあまり追っかけてなかったような気が…。ごめんなさい。(あやまってばっかりだな)

この基本経路以外にも迂回路があります。海の見える廊下、屋外、能楽堂の客席。特に能楽堂のシーンは興味深かったです。君=希望たち(=夢)がランダムに明滅しているのが、無意識とか夢の中の記号の運動を彷彿とさせます。一度目の君=希望たち(=夢)が無意識の経路を伝って僕に再来する。
経路を長く広く複雑にしてあるので、僕(Wセンター)と君=希望(=夢)たちもさまざまな速度で移動できます。それぞれがいろんな速度で移動するということは経路を流れる時間が複数ある。君=希望たち(=夢)はそれぞれ異なるタイミングで再来するのでしょう。だから明滅もする。

『人は夢を二度見る』では『君の名は希望』でじゅうぶん描けなかった時間を表現しようとしたのではないでしょうか。一度だけでは時間は生じないけど、二度なら生じる。

君=希望たち(=夢)に気づくきっかけが何なのか、なかなか腑に落ちなかったのですが、「二度」ありさえすれば気づくことができるということなのかもしれません。時間が生じることによって忘れるけど思い出すこともできる。

このMVマジ素敵なので、多くの人が観ることを願っています。

そして10年後へ

そしてまた、10年後が楽しみになりました。
三度目はさらに複雑な構造になるはず。
希望としてはアベンジャーズ『エンドゲーム』を超えてほしい。敵は今回よりもさらに深刻な絶望で、それを乃木坂アベンジャーズ=代表曲(メンバーが演じる)たちが協力してやっつける。だから歌詞も曲も映像も過去の代表曲の断片を召喚しまくることになると思う。想像するだけで泣けてきます。

以上です。
もしよかったら過去の二つの記事もご覧ください。

追伸
ファンのみなさま。いつも好き勝手なことを言って申しわけございません。間違っていたらほんとごめんなさい。

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