大宇宙の精神(6)

 
神には姿があるものだ、
と信じている者等が
神信心を夢中になってする時に
外意識が鎮静状態になると、
神の影を想像している観念が
内意識に作用して、
その内意識が活動を起こすから
ありもせぬ神の影がある如く感じて(幻覚)
すなわち神のお姿が見えるのである。
つまり心の中にあるものが
眼前に現れたごとく感じるのである。

※外意識=自分の明確な意識(自我)の支配下にある
 内意識=無意識に作用する
ということなので、現代でいえば、
 外意識=顕在意識
 内意識=潜在意識
として捉えてよいだろう。

ただし、潜在意識でもより、
顕在意識に近い浅い部分であろう。
(以上和氣注)



ある熱心な神信者が会長に向かって、
私には神のお姿が現れます、
これというのも私の一心が
神に通ずるからです、
というので会長は、
神には影がないはずだ、
というと、かの信者は、
神信心をしていない先生にはわかりますまい、
といって論じあったあとに会長が、
ではお影が現れないようにしてみせましょうか?
というと、
いくら術の先生だって
神のお姿を現れなくするなんという
法外なことができますか?
会長、
できます、
会長は法術を應用して
お姿の現れぬようにしてしまった、
かの信者が
一心不乱にお経を読んでも
一向に神のお姿は現れなくなてしまった、
先生恐れ入りました、
いかに一心になって信心しても
神のお姿が現れなくなってしまいました。
先生の法力には全く恐れ入りました。
なにとぞ、また神のお姿
現れるように
法をもどしてください、
というので
また神のお姿が現れるように
してやったのである。

右は彼の信者の心の中に
「神には姿があるものなり」
という観念がある。
その観念を会長が除去したから
神の影が現れなくなったのである。

そしてまた
その除去した観念を
入れてやったから
また現れるようになったのである。

要するに
神のお姿が見える
などと言って有難がったり
嬉しがったりしている人は
お気の毒だが神の霊験にあらずして、
「その人の心のグレ」(幻覚)
である。
それがさらに一歩進めば
所謂神がかり病
すなわりひとつの変態精神病者
となるのである。

※「変態」とは、
「もとの姿から変わった形態。転じて、異常な状態」
の意味であり、性欲に関する「ヘンタイ」ではない。
念のため。

 
神信者等でよくある
所謂神がかりになった者は、
種々預言めいたことをいったり、
或いはグレタ事を言ったり、
変妙な行為をしたりするものであるが、
これは「我は神になったのである」
とかまたは
「我に神が乗り移っているのである」
とか等というごとき観念が
内意識を支配している現象である。

右の如きは
神がかり病者というべき
一種の精神病者であるが、
この病人は大概
表情や態度や
言語や音声までが
全然一変してしまうものである。

故に変態心理学的の知識のない者が
これを見ると、
全く神様でも憑依したのであろう
と思われるのである、

そこへ預言めいた事でもいうと
なにやら神のお告げとして有難がったり
もったいながったりするのである。

ところがこれは、
妄念幻想に内意識が支配されるままに
でまかせにいうことであるから
彼らのいうことや
なすことを信ずると
とんでもない間違いがおきるのである。

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