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障がい者に対する概念

昨年、いやもう一昨年の2021年
東京で、オリンピック・パラリンピックが開かれました。

開始前から終わった後まで、
次々でてくる醜聞。
「人間の醜さを見せつけるオリンピック」
になっていますね。

そう、このように醜い人間達がたくさんいるのに、
表面上まともに「見える」ため、
普段は気づくことができません。

しかし、いわゆる「障がい者」の方は、見た目で「普通との違い」がわかるため、
差別の対象となってきました。
いや、パラリンピック、なんていいつつ、まだ普段の生活では差別を感じることばかりだと思います。

しかし、
精神が普通と違う
身体が普通と違う
で、人間として何の違いもありません。

なにを今更正論を?
と思われるかもしれませんが、
今回はちょっと違った観点から
このようなことを思ったので
お伝えしたいと思います。

年末の時間を利用して、
最近興味のある古代日本についての本を読んでました。

『高天原は関東にあった 日本神話と考古学を再考する』
田中英道著

タイトルの通り、
日本神話に出てくる「高天原」の実在の証明をしている内容
(関係ないですが、邪馬台国は無かったということも解説してます)
です。

その第一章
「縄文土偶は異形人形である」
が衝撃でした。

結論からいうと、
身体障害者、異形人を畏怖の対象、あるいは異化効果をもたらすシンボルであり崇拝されていたが、画一性を求める近代に作られた常識によって差別している、
ということでした。

田中先生は美術が専門。
美術から古代史を紐解いています。

今回は土偶に着目。
土偶って、異形をしてて、
エスキモーのサングラスと同じ、遮光と、
はては宇宙人(僕はこの意見好きですが)の造形とか言われてました。



しかし、ありのままの土偶の形象からみると,
目鼻立ちが普通ではない
現代医学から見ると
成長、発達障害の特徴と一致
つまり、
ありのままの形状である、ということなのです。

先史時代は、近親相姦が多く、
染色体異常が多く生まれていました。
そリャ、人口も少なく、
交通機関もないのですから
すぐ近くの人との関係になりますよね。

このことは、日本神話や古事記でも明らかで、
イザナギノミコト、イザナギノミコトの
第一子は水蛙子(ひるこ)という
異形でしたし、
そもそもこの二人(二柱ですね)は兄妹です。

もちろん、当時は近親相姦はタブーではなかったです。

そして、なにより、

不具者、病者は神話において、神の伝達者であった
(レヴィ・ストロース)そうです。

レヴィ・ストロースはこうも言ってます。

盲目あるいは片足、片目あるいは
片手などの形象は世界中の神話に頻出する。
我々はその状態に欠場を感じ当惑する
しかし、要素の欠如によって不連続にされた体型が、
数的にはより少ないにもかかわらず、
論理的にはより豊かになるのと同意の用に、神話はしばしば不具者や病者に正の意味を付与する。つまり彼らは媒介の様式を体現するのである、

また、古代中国では、
傑出した人物は不具者である場合が多かったそうです。

つまり、我々が持つ、障がい者に対する概念は、
下記に田中先生がいう通り、誤った植え付けたれた概念なのです。

我々が生きる近代では、
人間は健康で正常な身体を持つという常識が作られてきた。
平均的身体によって掲載されてきた一つの論理であった。
一般理性として、
等身大という概念を民衆に押し付けてきたのである。

身体障害者、異形人を
畏怖の対象、あるいは異化効果をもたらすシンボル
ではなく、健康や正常の反対物として、
排除や哀れみの対象として見下したのである。

彼らのもつ正常性、真摯な努力を忘れ、
正常さに対する異議申し立てのシンボルであり、
画一性への抵抗としての意味があった。

障がい者に対する概念は、同じ人間の異質性を無視している。

なにより、人間の本質は魂。
入れ物である身体の相違なんて、
何の関係もないことです。

このこと、常に考えていないといけません。

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