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第三章 身体と精神(1)

いかにに身体が完全であっても
精神がなければ斃れてしまう。

また如何に頑強な精神の持ち主でも
身体が不完全であれば
完全なる活動はできないのである、

故に我々は、身体も精神も
共に健全でなければならないことは
言うまでもない。

所で我々の生理的作用も
生活上全ての活動も
全て精神がその原動力となるのである。

故に精神力猛勢なるものは
身体も強健であり、
全ての活動も積極的であり、
かくして世の勝利者となるのである。

精神の弱い者は
身体も弱く
また全ての活動も消極的である
かくして人後に陥り、
世の敗者となるのである。

すでに述べ通り、
自然療能も精神に左右されるのである。
故に病に罹ったものが
悲観したり落胆したり懊悩したりして
すなわち精神の苦悶をする時は
その精神は自然療能作用の
妨害となり
またあるいは自然療能作用を
抑えつけてしまうものである。
故に病は益々悪化していくものである。

病人には心配は大毒だというが、これは全く真理である。

病人でなくても心を悩める事は大毒である。

即ち悩みある精神は
身体の生理作用を
完全に支配することができなくなる。
従って生理的に故障が起きるのである。
この現象が病である。

心配すると脳病になるとは
世の人のよく言うことであるが、
心配は脳の病ばかりではなく
心を悩ましたのが原因で
胃腸病を起こすこともあり、
神経痛やリウマチスを起こすこともある、
いや肺臓や心臓腎臓その他
種々様々の病気を起こすこともあるものである。

故にいわゆる苦労性の人や
神経質の人や
気の弱い人は
病にかかりやすいものである。

右に反して、病にかかったものが、
病に対する悩みを捨て
病を忘れてしまう時は、
自然療能は全力を挙げて活動を起こすから
前述した実例の如く
よほどの重病であっても治ってしまうのである。

更に楽天的の人に病人は少ないものである
=世間でご苦労なし、と言われている人や
呑気者と言われている人や、
大胆の者は
病気に掛かる人はすくないものである。

この大自然の理法をよく理解して
病や悪癖で悩んでいるものは、
まず第一に自然療能の妨害をしているものを除き、
そして万苦に打ち勝つ勇猛心を起こし
もって積極的に自然療能を猛烈に作用させる方法を
合理的に講ずることが
いかに真理にかなった療法であるか
を悟らねばならぬのである。

次に身体の各機能に及ぼす精神作用について
参考に供する程度にごく簡単に説明することとするが、
自分は呼吸器病だから、
消化機能に及ぼす精神作用の所は見る必要がないとか、
または自分は吃音だから
発語機能に及ぼす精神作用の所だけ見れば良い、
とか等と思って抜き読みしたり、
飛び飛び読んだりしてはならないのである。

精神と肉体との関係または
病や癖と精神の関係を
よく識れば識るほど
精神の威力を発揮することもできる、
自然療能も猛烈に起こすこともできるのである。

いかなる疫病でも治る原理は同一である。
またいかなる悪癖も同一の原理を使って治せるのである。
故に片端から一字も見落とさずに読む必要がある。

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