第十一章 暗示とはどんな事か(8) 外部暗示

会長が友人A君の母の治療に頼まれて行った。
するとそこへ、柔道と剣道に熱心なるB君
(B君43歳、会長26歳の時)が来て曰く
「先生がいくら術の達人でも
その術は反抗するものにはかからない」
等々と言って会長を冷やかした。

会長も負けずに討論するとB氏は
「ではボクに術をかけてみよ」
と言い出した。

そこで会長は
「よし、Bさん、合掌してみたまえ、
その手を離れなくしてみせるから」
というと、彼は冷笑しながら合掌した。

そのとたん会長は
「エイッ」
と気合をかけて
合掌の離れない暗示を与えた。

彼は一生懸命にその手を離そうとするけれど絶対に離れない。
「エイッ、立てない」
と暗示を与えれば
彼は夢中で立とうとしているけれど立てない。
B氏
「恐れ入りました。法を戻してください」
というので
「手も足も自由になる暗示」
を与えれば、始めて
その手は離れまた立つこともできたのである。

B氏「これには驚きました。
いくら反抗しても駄目なものですね。
切り込んでくる敵の刀を止める事ができる
という話を聞いていますが、
先生にもできますか?」
会長「そんなことは、この術の一年生でもできる事ですよ」
彼「ではひとつそれを実験してみせてください」
と言って彼は家に行って
柔道着を着て後鉢巻をして
白襷をして木刀を持ってきた。

それ、真剣勝負が始まるぞ、
というので忽ち十数名の観衆が集まった。

いよいよ勝負をする事となった。

B氏が「エーイッ」と木刀を上段に振り上げたしび刹那、
会長「エイッ」と気合をかけた所、
彼は振り上げた刀を降ろさんと
力を込めて大汗を顔に流しているが、
振り上げた刀は絶対下ろせず
遂には「全く恐れ入りました。
どうぞ法を戻してください」と出た。

そこで
「手の自由になる暗示」
を与えてやったので
はじめてその刀を持った手が降ろせるようになった。

彼「どうも不思議な術ですね。
いくら反抗しても絶対に駄目なものですね。
遠く離れている人にも術がかけられるとのことですが、
本当にそんな事ができるのでしょうか?」
会長「できるものです」
彼「ではそれも実験してみせてくださいませんか?」
会長「ではBさん、明朝起きたらすぐ手を合わせてみなさい。
僕が家に居てBさんの合わせた手を離れなくしてみます。
必ず離れなくなります。
そしてこの僕の扇子で
その離れなくなった手を打ってもらえば必ず離れます。
但しこの扇子はA君の家に預けておくから
手が離れなくなったらA君の家に来て、
この扇子で打ってもらいなさい」
と行ってその夜は別れた。

そして翌朝会長は、
彼の手の離れぬように遠隔法を施した。
斯くしてその晩A君の家に行ってその結果を聞いてみた。

そうするとA君
「今朝Bさんが合掌したまま
着物を背中にかけてきまして。
早く先生が預けておいた扇子で
この手を打ってこの合掌を離してください、
というので僕が腕任せに
力を入れて離してみたがどうにも離れませんでした。
それから先生から預かっておいた扇子で打ってやったら
すぐ離れました。全く不思議なものですね。
Bさんは裸で寝て今朝起きて
着物を着ずに合掌して
その手が離れなくなっちゃったものですから、
さあもう着物が着られなくなっちゃって
背中に着物をかけたままで
合掌して顔色を変えて、
困ったことなってしまった、
早く頼みます、と言ってきたのですです。アッハッハ」


これは
他人から与えられた暗示で
手が動かなくなったり
また手が離れなくなったり等したのである。

即ち外部から受けた暗示であるからこれを
「外部暗示」という
のである。

人身を自由にする法術に
種々なる名称の変わった法術があるが
いずれも皆暗示の応用によるものである。
即ち、異名同法であるのである。
 
某婦人が病気に罹りある行者に見てもらったところが、
「仏の祟である」
と言われその行者にしばらく祈祷を続けてもらったが
遂には
「いくら詫ても仏が許してくれないからこの病気は治らない」
と言われてしまった。
やむを得ずある医師に診断を受けたが
遂にはその医師も見放してしまったので、
また他の医師の診療を受けたが
これまた見放されてしまった、とて会長を頼みに来たのである。

この病人は行者に
「仏の祟でいくら詫ても許してくれないからこの病気は治らない」
などと言われたのでこれば
「悪い暗示」
となったのである。

即ちこの暗示によってこの患者は
「仏の祟りでその仏がゆるしてくれないのだからもう治らないのだ、
死ぬ外はないのである」
という強大なる観念を製造してしまった

そしてこの観念が患者の全心身を支配していたから生理的機能は増々悪化する、即ち病は増々悪化し重態となるのみであったのである。

つまり行者の与えた指示は、
かの病を増々悪化させる原因となり、
増々重態に陥れる原因となっているのである。
然るにこの
「原因を除かず」
に医師の診療を受けていたから

如何に名医も如何に妙薬もはたまた療機も
効果がないのみでなく増々重態に陥るのみであったのである。

何事でも
「原因」があって「結果」を産み=
「結果」有る所には必ず「原因」がある

のである。
その「原因を除かず」に「結果をのみ」治そうとしても
治る筈がない
のである。

この患者の心身より「病を悪化しつつある原因」または
「病を治らなくしている原因」を除去して
即ち
「行者の与えた悪暗示によって生じた観念」
を除去して、
そして後に適当の療法を施せば
必ず治るのであることは当然の真理である。


会長は
「行者の与えた暗示」
がこの患者を増々重態に陥れている
大なる原因であることを看破したのである。

そこでまず山畑式法術を応用してその
「悪暗示によって生じた観念を除去して」
そして後に「必ず治る暗示」を与えてやったのである。

しかるに二人の医師に見放された重態の病人も
7回の施術で全快してしまったのである。

このように
「行者に悪い暗示」を与えられたのもまた
「会長に治る暗示」を与えられたのみ、
皆外部より受けた暗示であるからこれを
「外部暗示」というのである。

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