大宇宙の精神(5)

狐に化かされて畑を川だと思って
素っ裸になって「おお深い」と言いながら歩いたとか
またよい女が出てきて
その案内でたくさんのごちそうになってきた
等というごとき話はたくさんんある、
いや話だけでなく実例もあるのである。

右のごときは何らかの動機で外意識の活動が止まって、内意識が妄念幻想に支配されるままに活動するのである。
 
例えば、
寂しい山道でも通る時、
突然に羽音高く鳥でも飛び出すと
「ほっっ」
とビックリして外意識が休止する、
その所へ内意識が活動を起こすのである。
妄念現像を包蔵していたり、
また妄念幻想を製造うる内意識が
活動するのであるから
それは実に滑稽劇を演ずるものである。

右の如き
すなわち狐に化かされる人は
多くは「狐は人を化かすものだ」
と信じている人である。

しかし「狐が人を化かす等ということはない」
と主張していた人が
狐に化かされたということもあるが
それはその人が
そんな迷信を否定する知識のない時代、
即ち幼少の頃に右の如き迷説を見たり聞いたりして、
それが強い印象となって
内意識に内蔵されていたのである、

たとえそうした印象が無いにしても
とにかく外意識が休止してしまって
内意識が
種々の妄念幻想に支配されて
種々の幻覚錯覚を起こし
次から次へと滑稽を演じるのである。

「美女に給仕でもさせて
うまい酒を飲んだり、
好きなものを食べたりして
遊びながら世を渡りたい」
等と妄念幻想満々たるものらが、
右のごとき心理状、
即ち狐に馬鹿されたという心理状態になると、
尾花が風で動くのが、美女が「おいでおいで」をしている(錯覚)
ように見える、
よい気になってその女に近づけば
「さあこちらへ」と袖を引くから(幻覚)たまらない、
引かれるままに行ってみると
立派なお座敷にごちそうが
山ほどある(幻覚)
うまい酒が美女の給仕で思う存分飲める、
「これは日頃の思いが実現した、
まずまず世の中は思うままになるものだわい」
と浮かれたって踊ったり歌ったりした、
「もう帰りだ」
美女「これからは毎日いらっしゃいね」
といいながら一番スキな酒の瓶詰め2本、
食べ残しのぼた餅その他
種々のごちそうの残りを大風呂敷に包んで(錯覚)
自動車(幻覚)で家まで送ってもらって、
踊り疲れてぐっすり眠り込んだ。

目が覚めてみると、
これは不思議だ、
家だと思ったら地蔵堂の土間に寝ていたのだ、
大風呂敷に包んだはずの包は、
自分の羽織で包んである、
開いてみれば、
ぼた餅の残りを包んだ筈だが
これはまた意外、馬糞ではないか、
その他の
ごちそうの残りと思ってもらってきたものは、
木の枯れ枝が2本である。

馬糞を包んだ羽織は
馬糞のシミだらけ、
土間に寝ていた
自分の着物は泥だらけ、
これを眺めてぼんやりかっかり。

これが即ち
狐に化かされた一幕であるが、
狐が人を化かすということは
絶対ないのである、
皆精神的に起こる現象であるのである。

故に山畑式法術を應用して
外意識を止めて、
内意識を活動する状態にしてそして
「これは酒だ」といって水を与えれば
全く酒だと思って飲み、
そして酔ってしまうものである。

また「これは砂糖だ」といって
塩を与えても全く砂糖だと思って、
甘い甘いと食べてしまうものである。

またこの1万円札をあげる、
と言って紙切れを与えても
1万円に見えてしまうのである。

ここは川だといえば、
彼は座敷の上にいながら
尻をはしょって、おお深い、
と全く川だと信ずるのである。

その他彼が
どんなに目を見開いても
何物も見えなくしてしまうこともできるし、
またありもせぬものを
見たり聞かせたりすることもできる、
また飛行機や自動車に乗せて
名所見物もさせられる、
また手足を動かなくすることもできる、
まったく意のままにできるものである。

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