「あんな人にはなりたくない」って思っていたら、そのなりたくない姿になった

自分は大学に入り過食症になった。                                                                   詳しい過程はまた今度書くが、ざっくりと説明するとほぼ毎日3000kcalを摂取し1年半で25kg体重が増加した。苦しくなるまで食べても太ることは死んでも嫌だったから、運動は欠かさなかった。                        それでも摂取カロリーが多すぎるため脂肪がどんどんつく。過食が始まり1年が経った頃、サークルの合宿で温泉に入る機会があった。                               そこで友達に言われたのは「お前ってこんなに肉ついてたんだな」の一言。

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小さい頃テレビで「仰天チェンジ」という番組がやっており(簡単に言うとダイエットの成功談を紹介する番組)、親から「お前も見ておいたほうが良いよ」と言われた。                         

そこから自分は「デブだけにはなりたくない」「あんなのは恥ずべき存在」と思いながら日々の食事を摂るようになった。      

「〇〇はデブの食べ物」                         「あの人ぽっちゃりしてる。カッコ悪ww」                

他人をジャッジするようになり、自分の本性と向き合わなかった。    本当は食べること大好きだし、今は親がいるからある程度食欲のブレーキがかけられているだけだということに気づかなかった。

そして大学に入り一人暮らしが始まると、食事内容や食費を自分で管理しなければならなくなった。

「健康でいなきゃ」                        「あの食べ物は太る」                       「食費最低限にしなきゃ」                     「友達との食事も大事にしなきゃ」

いろんなねばべき、なりたくない姿に縛られた結果、自分の食欲を抑えていたブレーキが壊れた。そこからは最初に書いたとおり。

自分に絶望した。

ダメ大学生にどんどん近づいてく自分。ブレーキが掛けられなくなった自分。日に日に醜い姿になり、人が怖くなっていった。             

助けてほしいという気持ちはあった。しかしそれ以上に「この姿を見せたくない」「自分の現状を死んでも人に話したくない」というプライドが邪魔した。                                  こんなだから症状が良くなることなんてなかった。

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そして今、大学4年生。

過食癖はまだ残っているが(最もひどかった時期の6~7割位?)自分を少しだけコントロールできるようになった。自分を許せるようにもなった。                  自助グループでの知り合いができ、精神疾患の知識を得た。       そして、こうして自分の暗い過去を文章にできるようになるまでになった。ある意味過食には感謝するべきか。

たらればを考えてしまうことは今でもある。でも、「ああはなりたくない」=自分の本性ということをこの経験から学んだ。              

やっぱり自分の本性はいつかは顔を出すのだ。

それなら早いうちに自分の本性を認めて、そんな部分が大嫌いだけどまあしゃーない、それでええやん、と言い聞かせることは大事なのかもしれない。

おわり。読んでくれてありがとうございました。


    

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