(主観的には)仕事ばかりしている

ぼくのいまの仕事は契約や料金に関することを主に取り扱っているので、月末月初がとても忙しいです。時給1120円でやる仕事量でも質でもないと感じながらへとへとになりながら働いていると、早く隠居したいという本来の気持ちがむくむくと湧いてきます。しかしうなるほどの大金を持っているわけでもなし、いったい自分は何歳まで働くことになるのだろうかと考えたりもします。隠居など夢のまた夢です。生きている間にはたぶん実現ができないでしょう。あまり先のことを考えても仕方がないのですが、当方40歳ですから、考えずにはいられない部分もあります。読書できる時間も実はよく考えると(主観的には)あまり残されていません。

率直にいって、自分の将来について考えることは30代の10年間はほとんどありませんでした。悩みは主に病気のことでしたから。そう考えるとかなり健康を取り戻して、自分のこれからの人生について考えあぐねられるというのは幸福なことなのかもしれません。が、さらに踏み込んでいえば、病者には病者なりの、健康な人には健康な人なりの悩みがつねにあります。多かれ少なかれ。つまり、みな生きるのがつらいのです(偏見)。

ぼくはつねづね自分は人間には向いていないと感じて生きてきました。これからもそうでしょう。基本的に人間という存在に愛と憎しみをともに感じながら生きていくのでしょう。シンプルに愛し続けることなどできないし、もちろん憎み続けるのも疲弊するので不可能です。ぼくの人間観はつねに引き裂かれています。極端にいうと、いつでも自分のことを愛しながら憎んでいますし、人類全体をしじゅう憎みながら愛しているといえるでしょう。別にやばい人ではありません。ただ心のなかではそうなっているというだけです。これを整理するとよかれあしかれ、ぼくは人間であるじぶん自身を通じて、人間、また人類に対して大きな関心と執着をもっているということでしょう。とくにその精神活動、哲学や思想、それを支える言語、文化、社会、歴史といったものに関心を持ち続けて老いさらばえていく未来が予感できます。そういった関心はぼく自身が日々怠らない読書と月1回の読書会(来月で活動開始してから丸10年を迎えます)によって、ゆっくりと鍛えられていくことでしょう。

仕事の愚痴は書きたくないのです。書いても本当につまらないというか、くだらないというか、ありふれた陳腐なことがらばかりです。しかし、アンダーコロナでありながらも職を得られ、低賃金とはいえ仕事にありつけている状態を満面の笑みで寿ぐわけにもいかないのです。低賃金でたくさん働くことは別にいいことではないです。ぼくにとって人生において最も価値あることは、比較的ゆとりのある、わりと健康で穏やかな暮らしのなかで、書物に淫することなのです。しかし、そのために四十路の身をどちらへ向けてゆけばいいか全く思いつきません。きっと夜遅いし、仕事の疲れが残っているからでしょう。今晩も早めに休んで、あすに備えることにします...。それではまた。ずいぶん朝夕冷え込むようになったので、風邪をひかぬようみなさんもどうかご自愛ください。

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