2021年

2021年もありがとうございました。シンガポールでも年が明けようとしています。

8月にはこちらの大学に入学をしてから毎日必死で考えてかんがえる日々を送り、気づけば12月18日には10代を終えて、ホッとひと息、歩んできた道を振り返っておりました。
2021年の自分から、またいつかの自分とお世話になった皆さんに、ご報告も兼ねて、長いながい手紙を残してしまいました。

僕が生まれたのは20年前の2001年12月18日。
まだ小さかったあの頃は、あれだけ憧れたハタチの日(合法的にお酒が飲める日)を、冬なのに蒸し暑いシンガポールの地で粛々と過ごすことになろうとは思いもしなかっただろう。

酒蒸しのように暑い初秋の京都を旅立ってから、酒蒸しのように暑い年末のシンガポールで2021年を振り返る。インスタのストーリーが写す故郷では、木々や山の色は瞬く間に変わり、次第に雪が降り始めていて、なんだか取り残された気持ちになった。でも卓上に置いたパキラの小枝が、きちんと時間の経過を教えてくれている。

僕が生まれた20年前は何があったんだろう。
9月11日に起こったアメリカ合衆国での同時多発テロ、それから米英軍のアフガン攻撃の決定、COP7(第7回気候変動枠組条約締約国会議)の最終合意が目にとまる。

9月11日、僕はまだお母さんのお腹のなかに居た。今までお話ししてきた多くの大人たちが、この日を境に人生が変わったと言う。祖父母や両親は何を思ったんだろうか。
そういえば京都の田舎町の小学校教員を務めていたおじいちゃんは、太平洋戦争のとき、少年兵として飛行場の建設にあたっていたと言ってたな。都会から疎開してくる子供たち、鳴り響くサイレン、燃える防空壕、僕が戦争を怖いと思ったのは、そんなおじいちゃんの記憶からだった。

シンガポールに来てからは、旧日本軍の足跡をいくつも目にした。今やリゾート地となったセントーサ島では、何百人もの反日活動家が収容、殺害されたという。あまり言いたくないけれど、この事をここに来るまで知らなかった。その記憶は紛れもなく、おじいちゃんと同じくらいの年齢の人たちの中に生きてる。

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赤紫色の夕日が沈むセントーサ島のビーチとか、街のあちこちで見かける和食屋さんとか、ジャパンのことが好きな友達に囲まれる日々。意識しないと、キラキラ輝いてみえるジパングの陰にそう言う過去が埋もれてしまうような気がした。そういえば「アイムフロムジャパン」って若い人にはハッキリ言って、お年寄りの人にはぼんやりとしか言えない自分がいるなあ。エゴなのか配慮なのか。

COP7は環境のこと。2021年前半期は学校に通わず、京都の温暖化防止対策推進センターで働かせてもらいながら地域の運動Fridays For Futureに参加していたので、気候変動とか自然について考える時間が多かった。
政府も自治体の動きから「2050年までに温室効果ガスの排出をプラマイゼロ(カーボンニュートラル)にするぞ〜」と言って、気候変動に取り組もうと違うセクターの人たちが肩を並べる。経団連の経済同友会さんの会議に出席したりして、それぞれの主張に耳を傾けた。エネルギーに関してはそれぞれ推しがあったりして、カーボンニュートラルへの道のりは複雑だった。

気候変動の影響はみんなに平等にあらわれるわけじゃない。めちゃくちゃ二酸化炭素を排出する生活をするのは富裕層なのに、若い世代や女性、LGBTQ、世界で最も影響を受ける地域と人々、障害者とかがより災害の影響を受けてしまう「不正義」がある。これを見直そうとする考え方は「気候正義」と呼ばれていて、自分は若い世代として気候正義に基づいた対策をするように、運動を通して自治体とか政府に訴えかけた。

しかしそれと同時期に、「若い」ことをアイデンティティにして運動に参加することに疑問を感じはじめた。若いという弱者性を理由に声をあげていて、大人になったら一体僕は何者になるのだろうか。声を上げる場所と権利を失ってしまうのではないか。2050年の自分を想像する。

経済的に恵まれた日本で比較的経済的に恵まれた家庭で生まれ育って、海外の大学に入学して、シンガポールの大学を(願わくば)卒業した、49歳中年のおじさん。今世の中のシステムをつくっている特権を持ったおじさんたちに似た僕。
一部の活動家が、書籍とか藝術を「白人の作品である」ことを理由に否定しているのを見て、自分もこの対象になっちゃうんじゃないかと怖くなった。49歳中年のおじさんに暗雲が差す。

そうやってモゴモゴと妄想をしていると、半年前や昨日に書いた文章が、まるで他人のもののように見えた。別の人の視点に立とうとするときには、自分の正義が他の人の正義ではないことがわかる。頭を巡りにめぐったつぶやきはいつも喉元に引っかかって、外に出ることはなく、現れては消え、「アア…嗚呼…」と。カオナシみたいに!

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無理やり社会の型にはめて出来上がった自分は、まるで自分じゃないようだった。「若いから」とか「おじさんだから」っていうレッテルを自分や人に貼り付けなくてもいい。2022年、そういう理由づけとは少し距離を置いて、純粋に楽しいと思えることをする。それは、北から南まで、海、森、川、竹や有形無形の文化の中で育まれた自然の中にある生き方や価値観に溢れる京都と、少し離れたシンガポールから、自然と自分について考え続けること。

シンガポールの生活はめちゃくちゃ面白い。(毎日は生きるのに必死だけれど、思い返すと、面白い。)
8月のはじめに来て、PCR検査は出る前と着いた直後、14日間指定されたホテルで隔離後の3回。そしてさらになんと充分に休む暇もなく、隔離が始まった次の日から授業がはじまった。しかもこの授業の内容が、The Odysseyという古代ギリシャの叙事詩についてディスカッションをするというもの。
そもそも高校の授業は日本語で、ろくに英語の小説も読んでこなかった自分は、案の定撃沈。WiFiの接続も悪くて、何が起こっているのかさっぱり分からず、頭の中にモンスーンが吹いた。僕の体には大きすぎる4つ星ホテルのキングサイズベッドには大量の涙が染み込んだ。
今思い返すと、本当に良く生きながらえたなと思う。親や高校でお世話になった先生にすぐに連絡して、「生き残るだけでいいよ」と声をかけてもらったおかげです。本当にありがとうございます。

授業のリーディングは多くて、全教科合わせて毎週200ページ程度にのぼる。参加する前に最低2回読まないとついていけなかったので、一日のほとんどを読書に費やした。面白いことに、授業でのディスカッションにほぼついていけない分、1人でゆっくり読んで考えられる時間がとても大切になった。

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人文学の授業とかでは、テキストを分析しながら、「言葉の表現がどういう風に影響をし合っていて、どんな印象を与えて」というのを読み取る。アート的なものに理由をつけて、エッセイという形で文章化することを求められるのは好きじゃなかった。「論理には論理を」という先輩の言葉が後期のモチベーションだ!

コロナ禍のシンガポールにはあちこちに思考の種が転がっている。
政府はTraceTogetherというアプリで膨大な数の人流データを記録、追跡と感染対策の徹底をする。政府は状況に応じて、外を一緒に歩いていい人の数を2人とか5人にしたり、頻繁にクーポンなどでお金を配る。マスク無着用で罰金とか、ある種権威主義的な政策で感染対策と経済の両立が測られているのが興味深い。


政府の力が強いがために、従来のあり方が大きく変わることも強いられる。先日友達に連れていってもらったパーマカルチャー農場も、軍基地へと姿を変えることになるそう。農場ではビルが乱立する街ではもう見かけないミツバチが花の蜜を運んでいるのを見て悲しくなった。

これは第3週金曜日に突如全授業を休みにして、シンガポール国立大の学長によって伝えられた「Yale-NUS Collegeは無くなって、新しく既存のプログラムに統合してNew Collegeを作ります」というニュースに対する学生の反応にも顕著にあらわれた。多くの人が泣いたり呆れたり怒ったりしていたけれど、シンガポール人及びアジア圏の学生たちの反応は、欧米出身の学生より比較的薄かった。シンガポールの友人は「こういうのはもう日常茶飯事よね」とさえ言っていた。僕もそう思った。
Yale大学がデザインする西洋型の教育があるキャンパスと、シンガポール社会にはどうしても壁ができてしまっている感覚がある。大学も「共通科目の脱植民地化」という名目で議論を進めた過去があるけれど、複雑な歴史のなかで脱植民地化を図るのは簡単なことではない。ちなみにこの議論からSejarah Melayuという15世紀にマレー語で書かれた文学作品が人文学の授業に組み込まれた。

まあ大学生活をだらだらと書くのもあれなので、普段日記を書いているブログをここに載せておきます。

前期は文学・人文学の授業で古代インドや古代マリ王国の叙事詩、司馬遷や千夜一夜物語を読んだり、哲学・政治思想では古代中国からは墨子や荘子、古代ギリシャからはアリストテレスやエピクロスを読んで議論したり、(説明しづらい)比較社会学とか統計の授業があった。後期はより近代に焦点を当てた文学・人文学と哲学・政治思想に加えて、科学探究の授業と、一つ選択科目でThe Ecology of Foodに申請中。

学ぶとは思いもしなかったことを学んでいて、嫌いなものは特になく、どれも楽しんで勉強できた。それでもエッセイが成績のほとんどを占めることに満足はいかない。Creative Assignmentという、自由に表現してもいい課題があって、成績の割合は少ないけれど、表現することが好きなので時間をかけた。

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Marie de FranceのBisclavretを漫画で表現した

授業のことはこれくらいにして、そろそろまとめないと。ここまで読んでくれてる人、優しい・・・それとも暇ですか・・・。よかったら色々お話しましょう。

年が明ける前に、また来年への自分へ書いておきたいのは、授業の外で学ぶことが人生を豊かにしてくれるよ!ということ。このブログを書いてみたことも。地域の運動に参加したことも。
カレッジで仲の良い友達は耳に障害を持っていて、彼女のみている世界が自分の見る世界と違いすぎることにいつもハッとさせられる。2年ほど当たり前につけてきた口元の見えないマスクが彼女たちの負担になっていることも、授業で誰がどこで喋っているか分からないときがあることも、彼女と話すまでは知らなかった。こんな世界があることを知って初めて、自分の持っている特権に気がつかされる。

さっき「自分にレッテルを貼りつけなくてもいい」と書いた。
でも、自分が社会に生きているということ、
一家の弟であるということ、
若者であるということ、
男性であるということ、
耳が聴こえるということ、
京都で生まれ育ったということ、
それは特権を持っているということを忘れないでいたい。

桂の公立の中学校から、高校ではイギリスに留学をして、今はシンガポールで学生をしている。Instagramで見る故郷は大雪に覆われ、僕が遠い場所に来たことを実感させる。小中の友人とは連絡さえ取らなくなってしまって、同窓会にもろくに顔を出せない。彼らの見てる世界では、自分はどんな風に見えているんだろうかと何度も問う。
ここから故郷と人を思うのは、大切なもんはいつも目の前にあるんや〜と自分に言い聞かせるみたいで。
どんなに遠くにいようと、何を勉強しようと、どんな仕事を得ようと、たとえ自分が何者かわからなくても、ここに居る自分をつくってきた社会があることを忘れずに、自分の見えない世界の住人さんと触れ合っていられるひとでありたいと思う。

応援してくれている方がいるのに、留学の報告が遅れてごめんなさい。やけに長くなりました。
2022年もよろしくお願いします。

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