境界知能当事者としての俺

あんまりXとかには書いてこなかったが、2020年初頭、コロナが日本を包む直前に境界知能だということが発覚した。受けたのはWAISで、ⅢだかⅣだかは覚えてない。ドラクエかよ。全検査IQは78。言語性も100は超えてなかった。確か言語で95とかだったはずだ。動作性に関しては察してくれ。2018年に鬱と診断されていたが、ADHDの診断も正式におりた。
で、境界知能やADHDやASDはすげーグラデーションがあるんだけど、まぁ発覚したときの反応はざっくり2つのタイプに分かれると思ってる。めっちゃ雑だし危険な分け方だとは分かってるんだけど、当事者のイチ意見って感じなのであんま真に受けないで欲しい。詳しい事は医者や専門家に聞いてくれ。
ああ、こういうの書くのめんどくせえ
ひとつは「ああ、自分の生きづらさはADHDや境界知能だからなんだ」っていう感じで根幹を見つけた! って腑に落ちる人たち。
もうひとつは「だからなに? 今さら取り返しつかねえよ」って冷笑するひねくれ者。
俺は完全に後者。根本的に性格が終わってるんだよな。
ざっくりと俺の来歴を書こう。
小学生の頃、お受験組だったので勉強は出来た。ていうか、塾に毎日通えば勉強が出来るのは当たり前だ。馬鹿だから自分の事をエリートくらいに思っていたはずだ。それでも「一流の進学校」には行けず、大体6割から7割が早慶上智に進学するようなそこそこの環境で中高の6年間を過ごした。MARCHは負け組、日東駒専は論外みたいな価値観だったけど、そこで徹底的に落ちこぼれた。数学のテストでゼロ点を連発し、学年ブービーの成績を取ったりしたけども、追試になると妙な集中力を発揮して留年や放校は免れてきた。現役時代は何処の大学にも引っかからず、一浪して四大に入って大学院に逃げて中退をして、そのあとはずっと契約社員という名前のフリーター。正社員は1ヶ月持たなかった。
去年の年収は額面でギリ400。34歳で住宅ローンを組んで、大学院時代に貸与された奨学金の残債が90万。貯金と言える貯金はない。さっき残高見たら46万あったが無職だし(来週から派遣で働くことにはなってる)結婚をしたこともない。子どもとかもできたことがない。
できてなくて本当に良かった。
勉強面について補足をすると、記憶力は若いころはそこまで悪くなかった。よく言われる過集中みたいなことはかなりあった。
具体的に書くけど、俺は浪人の時も予備校なんか行かず遊びまくってて、浪人の10月時点とかで偏差値は30くらいだったはずだ。ビリギャルかよ!
で、そこから大学いくぞ、と覚悟を決めて「本当に1人で」中学の勉強からやり直した。家族に監視して貰って部屋で死ぬほど勉強をした。1日12時間は勉強したはずだ。そうしたら、文系科目はセンターで平均超えくらいは余裕で出来るようになっていた。ふつうに考えればそういうことは起きない。でも、俺は自分でどうにかした。感覚としては追試と一緒で、一夜漬けの延長を数ヶ月間だけ限定的にしたってだけ。それ以降勉強という物は俺の人生から消えている。
なんでこんなことを書いたか、と言うと境界知能の当事者って大卒とかサラリーマンとかふつうに沢山居るんだろうな、って思ってるから。
俺もサンプルとしては大して珍しくはないはずだ。
確かに生きづらくはあったんだとは思う。
元来手先は凄く不器用で、虐められたこともあれば、コンプレックスを抱えやすい容姿でもあった。
だけど、それがどうしたって言うんだ? 本当の意味で生き易い人間なんてこの世界に存在するのか? みたいな考え方を捨てることはできなかった。
36歳で発覚しても手遅れだし、終わってしまっても人生は続く。
結局の所、生きて行く以外何をしろって言うんだ?
俺は弱者男性ではあるけども、根本的には恥ずべきことで克己ができなかったのは弱者という立場に甘えてきた証左でもある。
確かに俺の脳のスペックは低いが、先天的なものかはかなり疑問だ。
長年の過剰な飲酒や向精神薬の乱用が脳に与えたダメージは甚大なのではないだろうか。
自分の意思で酒と薬を乱用したし、それは快楽目的と現実逃避以外のなにものでもない。
数値をそのまま受け止めるのは正しいのか? とか、自分で「そうなろう」としてテストを受けたんじゃないか、とか疑問に思う部分はかなりある。
香山リカの『発達障害と言いたがる人たち』とか読んだけど、あれ、これ俺じゃね? ってなったしな。
だいたい、俺がクソガキの頃に発達障害だの境界知能だの、そんな言葉は聞いた事すらなかった。全部まとめて〇〇〇〇で終わりだったぜ。
俺はかなりネット歴長いけど、ADHDという言葉を初めて見たのは2005年か2006年くらいじゃないかな。MIXIで見かけた気がする。それでもかなり早く知った方なんじゃない? 学生の頃も睡眠薬を囓ったりはしていたから、メンタルヘルスについてはそこそこ関心は持っていたはずだ。
俺の場合はどうしても「無能と怠惰の言い訳」として機能してるんじゃないかな? っていう疑問符が常について回ってしまうんだよな。
俺だって自己責任論は基本的には好きじゃないけど、自分の人生が上手くいかない要因を他者や社会や生育環境に求めるとキリがないから、自分に問うのがベターじゃねーか、いうのが41年生きた率直な実感。
大抵の弱者が救いたい形をしていないように、俺のことを救いたいと思う人間もいない。
生きたければ自分で助かるしかないってのがこの世の真理だ。
でもなーーーー、俺のこういう考え方って「分断」を生む温床そのものでもあるんだよなーーーー。こういう性格の悪い当事者が公表しにくい社会を作る最大要因になり得るんだよなー!
まぁ、みんなそれぞれせいぜいこの世を生き抜きましょう。
俺もどうなっても最後まで生きるつもりではあるので。マジで。

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