ボクシングという名の人が死ぬ競技を好きでいるということ

ボクシングが好きだ。
俺が子どもの頃、世界戦はふつうにテレビのゴールデンタイムでやっていたし、当たり前のように辰吉丈一郎や畑山隆則が好きだった。
ボクシングの漫画も好きだったし、ロッキーだって大好きだった。
海外のボクシングを見るようになったのは開局直後のWOWOWが一時期家で見られたからで、プリンスナジーム・ハメドにはバッチリ影響を受けた。
20代中盤頃、マニー・パッキャオが起こしていった奇跡には魅せられたし、本当は法律違反なんだろうけどWOWOWの放送を勝手に流しているスポーツバーは山のようにあったから夜勤明けに観に行くことも結構あった。
俺が若い頃はK-1やMMAと呼ばれる前の総合格闘技のブームだったからそっちを見ることもあったけど、30を過ぎてからはボクシング以外への関心はそこまでなくなっていった。
で、ボクシングの階級は17あるけども(本当は18なんだがまあ置いておく)それを全部言える人間はそこまで多くないだろうし、日本王者のボクシングの試合を見たことがある人も多くはない。俺は全部言えるし、現役の日本王者も何人か言えるし試合も見たことはある。
断じてマニアではない。だけど超ライトなファンでもない。俺はスポーツをボクシング以外は見ないからそれなりに詳しく好き、という感じだ。
で、YouTubeの時代がやってくれば情報格差は一瞬で埋まる。
優秀なボクシングチャンネルが山のようにあり、語学の壁を超越してくれるお陰でトレンドにもどんどん詳しくなっていく。
ボクシングを見るのは楽しい。あくまでも、個人の趣味としてだから、他人が見て楽しいかは知らない。俺は見ていて興奮するし、つまらない試合は寝落ちにも使えたりする。
だけど、1つ胸につかえていることがある。
ボクシングの事故率は、他のどの格闘技よりも圧倒的に高い。
何故ボクシングの死亡率が他の競技に比べて高いか、といえば大きな面積で脳に直接延々とダメージを与え合うスポーツだからだし、ファンの目から見てもおおよそ健康的な競技とは言い難い。
で、俺は試合映像を「ライヴで」試合を見た選手がもう2人も事故で亡くなっている。
2009年の3月、ミニマム級の日本タイトルマッチで辻昌建選手が、2023年の12月、バンタム級の日本タイトルマッチで穴口一輝選手が、それぞれリング禍で命を落とした。
2つの試合を生で、フルで見た当事者として語るが、どちらも凄まじい激戦であり、俺はとても感動をした。
でも、「人が死ぬ」競技に感動をするって、めっちゃ残酷な、非人間的な感情なんじゃね? みたいな苦しみ方はするんだよな。
リングだけの事故じゃない。
直近でもの凄くつらい死があった。
減量苦で20歳前後の青年が、山中で飛び降り自殺をしてしまった。登山口に残された車に数本のペットボトルのコーラが転がっていたという遺族の言葉は痛ましいなんてものではなかった。
ボクシングの何に惹かれるのか。
それは、根源的な暴力の魅力に自分が取り憑かれているからだ。
人が殴られるところが見たい、痛めつけられるところが見たい、自分を安全な所に置いて、暴力を振るい合う姿を消費したい。
こういう感情がない、というのは嘘だ。
もちろん現代ボクシングはアートでもあり、科学でもある。人格を育てるようなところもあるのかもしれない。それでも、歴史を紐解けば残虐ショーとして娯楽になっていたというのは史実だ。だいたい、「人が殴り倒される所が見たい」という心理が平和的な思考と言えるのか?
人が命を落とせば心は痛む。安全であって欲しいと願う。
だけど、暴力的でないなら、俺はきっとボクシングを見ない。
二律背反するけども、それでもこれ以上事故は起きて欲しくない。四十を過ぎると、若者が命を落とすのを見るのは忍びない。
俺に出来ることは、忘れないことだ。そして、出来れば語ること。
だから、忘れずにいるためにこの文章を書くことにした。
辻昌建選手、穴口一輝選手、本文の趣旨とはズレるけども、坂間叶夢選手の魂がどうか安らかであることを祈ります。全員試合を見た。
忘れない。


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