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間違いは 間 (ま) が違ってるだけで、違いそのものは楽しいものだ

00.はじめに


尾原です。私はGoogle,マッキンゼー,リクルート,楽天執行役員として新しい事業の立上げ、投資を歴任、バリ島シンガールをベースに「モチベーション革命」「アフターデジタル」など「つながる時代の新しい働き方・自分らしい生き方」を実践・発信しています。

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<尾原のアフターデジタル時代の成長論>


01.今日の解説

今日は、最近ずっと大事にしている言葉を中心に話をしていきたいと思います。
それは、「間違いは、”違い”は間違っていなくて、間 (ま) が違うだけ」という言葉なんですね。
しかも間が違っていることが分かることで、むしろ ”違いを楽しむ” ことができる、ということを話していきたいと思います。


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間違いは間(ま)が違っているだけ
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日本語ってすごく素晴らしくて、間違いは 間 (ま)が違う、間(あいだ)が違うって書くんですね。
「僕とあなたが何かちょっと合わないな」と思ったりとか、「何か仕事で自分が間違いをしてしまう」というのは、仕事が悪いわけでもないし、自分が悪いわけでもなくて、仕事と自分、その間の間(ま)が違っていただけなんだよねと。だから仕事と自分の間をうまく調整すれば次は上手くいくかも知れないわけです。
そうすると、人間って難しいのは日々の生活の中にいると、どうしても”上司と自分という関係” だったりとか、"会社の中の仕事の関係" だったりとか、間が固定されてしまって、変えにくい時があるわけですよ。
それに対して、インターネットの良いところというのは、遠くの人とつながることができたり、近くの人とつながることができたり、間が違うなと思ったら、すっと立ち去って次の間を試すことができるんですよね。
どうしても、僕みたいなADHDの人とかは、一つの環境にいる時、例えば学校にいた頃は、正直友達が少なかったりしたんだけど、それってやっぱり50人の学校の中だと、僕と間の合う人ってなかなかいないんですね。
それが中学生になってパソコン通信が現れてきたおかげで、間が合う人というのをたくさんトライアル&エラーする中で探すことができて、
そうすると間が合う関係が見つかると、違いはむしろ、「面白い違いだね~、だったらこういうことできるよね。」っていう風に、コラボレーションできる関係になるんですよね。
しかも、それがある程度話が進んでいくと、間がだんだん近づきすぎたり、コラボレーションをやっているうちにお互い自分の進化の方向性が見えてきたりすると、相手と自分の間も変わってくるわけですよ。
そうすると、「ああ、ちょっともう間が合わなくなってきたね」となってきて、それが間違いって気付く前に、だったらその間を変えるのか、もしくは相手を変えて、お互いまた間が合う関係になる人を探して、違いを楽しめる間の人とどんどん出会って行けば良い。
そうすることで、自分も違いの中で進化していくから、一年後もういっかい会ったら、間が合う関係になるかも知れないですよね。

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間がなかなか変えられないときの秘訣
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”間違いだ” って言われるのは、あなたが違っているのではなくて間が違っているだけで、違い自体は楽しいものになりうる、というのを大事にしていかなくてはいけないんですけど、
とはいえ、相手コロコロ変えられないよ、とか、自分と仕事との間をなかなか変えにくいよ、というときの秘訣は、
「相手は変えられなくて、自分は変えられる」
ということなんですよね。
例えば、仕事で間違いが多いなと思ったら、仕事と自分の間をどういう風に工夫して変えていくかという事を考えれば良くて、
僕みたいにポカミスが多いなというのであれば、仕事に関して間にチェックリストを置く事で間が整う様にしたりだとか、スケジュール調整に関しては必ず相手に翌日にメッセージしてくれる様にお願いするだとか、そうする事によって間を調整すれば、間違いというのが、むしろ間があってお互いを活かしあえる関係になるんですよね。
あと、間違いのもう一つのパターンは、僕が大事にしている
「価値=違いx理解」
という話なんですよね。
これは何かというと、同じものが並んでいたら、みんな同じ価値に見えちゃうじゃないですか。でも赤いリンゴがたくさんある中で、一個だけものすごくきれいなリンゴがあると、”このリンゴ美味しそうだな” って違いに価値を感じますよね。
でもこのリンゴがブヨブヨしていたりだとか、色がめまぐるしく変わっていると、これって理解の範囲(壁)を超えちゃうから、こうなると人間というのは違いが良いものではなく、むしろ怖い、マイナスなものに変わってしまうわけです。
つまり、間違いがおきやすい間というのは、「理解を超えてしまった範囲での間」なんですね。
だとしたら、間違いだと思ったときには、違いの方を修正するよりも、相手と自分の理解の幅を広げるというのをやった方が、”理解の幅が広がる中で "違い" はむしろ価値が上がる”、っていう事なんですね。

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違う人は皆先生
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こういう風にして、間違いっていうときの間を、
・理解の壁を広げることで違いをより楽しくするのか、
・それともお互いにあう間を探していくのか、
そういうことをやっていくことで違いをむしろ楽しめる様になる。
そうすると、最後、僕の大事にしている言葉に戻って、
「違う人は皆先生」
なんですよね。
”違う” っていうことだけで自分に無いものを持っているから、それはコラボレーションできる可能性があるわけです。
もしかしたら、今は間が違うからコラボレーションできないかもしれないけど、その人の違いを楽しんでいれば自分の理解の幅が広がって、今は間が違うだけの関係でも、その違いを楽しめる機会を作れたり待てたりするんですよね。
間違いは間が違うだけで違い自体は楽しいもんなんだよ、
ということで、今日の解説終わりたいと思います。


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