理知を継ぐ者(17) 差別について③
こんばんは、カズノです。
【補足】
問題にされるべきは「差別的な意識」であって「差別的とされる言葉/単語」ではないと話しました。付け加えるなら、問題にされるべきは「差別意識に基づいた行動・言動」であって、差別意識を持つことじたいは罪ではありません。
差別的な意識、差別的な心、そんなところまでいちいち処断していたら/処断されていたらきりがありません。
人は日常的に差別的な意識を持ちます。でもその意識を、そうそう実行には移しません。その意識に基づいた言動すらまずしません。それが社会性だからです。人は社会的な生きものです。望む望まないにかかわらず社会的にしか生きられません。だから社会性の外に出てしまう自分を考えると、おいそれと差別的な行動や言動はできません。でもそれでも、行動や言動に出て相手を傷つけることはあります。つまり罪とはそれです。
差別的な意識から実際の行動・言動に出て、誰かを傷つけたとき生まれるのが差別の罪だということです。
もちろん、「心で姦淫をしたら、もう現実に姦淫したのと同じです」という考え方をする人々や地域や文化はあります。でも日本には、そういう考え方をする下地はありません。あるのはもっと土着的なノリで、なぜそれが悪徳かははっきり説明できません。「天にますします我らが父がそうお考えだからだ!」とは言えず、なんとなく「心でわるいことを思う人は、もうわるい人の気がするんだよなあ」とぼんやり思ってるだけです。
いえ、だけでした。
「心でわるいことを思う人は、もうそれだけでわるい人なんだ!」はすでに大きな力を持ってしまっていますが、さてはて、今後はどうなるのでしょう。
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受講生Dの署名運動に「よく分からないなあ」という感想を持った人はけっこういただろうとおれは思っています。
「たかがジョークに抗議するのが分からない」といったことではなく、「なんとなく問題な気は自分もするけど、具体的に何が問題なのか、何を問題にしようとしてるのか、今いちピントが合わない」といった分からなさです。
仮にそういう感想を持った人がいるなら、じゃあなぜこの署名運動/その記事は「よく分からないなあ」になるのでしょうか。それはこの事件に「被害者がいないから」です。
この運動が問題にしている事件には、被害者らしい被害者がいません。だから、何が悪で何が善かのピントが合わせづらいんですよね。
そう話せば「あ、そういうことだったのか!」と腑に落ちる人もけっこういるんじゃないかと思いますが、大学Aや企業Bの初動対応が遅れたのは、たぶんここらへんも関わるだろうとおれは見てます。
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話で大事なのはなにより「内容」です。どう話しているかとか、どういう言葉遣いをしているかとかは二次的なもので、まずは内容を聞くのが当然です。
出版/編集、とくに校正(正しい日本語が使われているかの見極め)を専門にしている人間がこういうことを言うのもどうかと思いますが、話し方、言葉遣い、その文法的/辞書的正しさに意味はないとおれは思っています。
言葉遣いがどうだとか、話し方がこうだからとか、実にくだらない見方だと思います。
大事なのは「相手が何を言っているか」で、敬語を使えてないからダメとか、話し方が不良みたいだから中身も聞くに値しないとか、それで相手を切り捨てるなど、実につまらない、人の話の聞き方です。
それはそれとして、さて、気づいた人は気づいたと思います。内容が内容だけに多かっただろうとは思いますが、そうですね、この3回の話は非常に差別的です。
「あくまで例として挙げているだけ」としても、おれが盲人に差別的な意識を持っていることは明らかです。少なくとも彼らを特別視していなければ、こういう話はできません。「特別視」とは偏った見方をしているということです。つまり偏見のひとつです。
この3回の話を点字にして、盲目の方に読んでもらったら、いやな気分になられる方は多いでしょうと、そういう話ですけどね。
まあここから先は、おれとその方々とのやりとりになるので、みなさんには関係ありません。
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