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あれってなんだったの? 松尾潔④

 これからの話は蛇足みたいなものです。
 R・ケリーのエピソードで松尾は、「達郎さんは放送の中でも『(R・ケリーは)才能はありますよね』と言っていましたから、アートの天才には免責特権があるという才能至上主義は、その頃から一貫しているわけです」と話したようですが、そんな「主義」が山下にあんのかなあ? とおれは思います。

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 今回の松尾と同じように、社会的な問題について積極的な人というのはいます。積極的じゃない人もいます。どちらがよいとかわるいとか、そういう話は今は置きます。

 音楽人に限らず、映画人でも舞台人でも、テレビやマンガの人でも、積極的な人は積極的です。山下の周りでいうと、社会的な問題に殊に積極的だったのは坂本龍一です。
 最近では明治神宮周辺の再開発に異議を唱えてたことが話題になりましたが、神宮外苑問題だけでなく、坂本は積極的に意見を述べ、時には行動にも移し、自身の音楽活動上でも社会的な問題を取り上げてきました。
 なので、山下もよく誘われたそうです。ふたりは親友と言っていい間柄です。

 例えば、ある社会的な問題を解決するための資金援助として、音楽人がチャリティコンサートを開くことはよくあります。ライブエイドとかそういうのがあります。
 あるいは直接的に、ある社会問題への抗議を歌にする、そういう活動もよくあります。
 たぶん、そういう種類の社会活動への参加を、坂本は山下に持ちかけたのだと思いますが、けれど、山下はずっと断ってきたそうです。

 だから松尾が問題視したR・ケリーのことにしても、単にそれだけではないか? という気がします。
 つまり山下は、「社会的な問題に首を突っ込みたくないだけ」なんじゃないか? ということです。
「R・ケリーは社会的な問題から、アメリカの音楽業界からハブにされてますよ」
 と松尾に指摘されても、
「いやいや、『社会的な問題』かどうかはどうでもいいから」
 だったんじゃないかな、と。

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 山下と坂本は仲の良い友人どうしで、まあ親友といっていい間柄でしょう。
 ほぼ同時期に音楽業界に入り、知り合い、山下のバックを坂本がつとめることで交流を深め、以来、音楽について語り合う友人でした。70~80年代の日本の音楽シーンを牽引したという意味でも、ふたりは似通った志向を持っていたいし、ゆえに、その音楽性・音楽活動を認め合う間柄です。世代も同じで、だったら音楽に限らず、その他の話題も似通っていたでしょう。
 それほど近く濃密な間柄でも、坂本からの誘いは固持し続けたのが山下です。

 神宮外苑なりなんなりの、社会的問題への抗議をするために、なあひとつ曲でも書いてくれよと誘われて、「ま、サカモトの頼みだからしょうがないか。いいよ、やるよ」みたいなことを、山下はぜったいしなかったということです。
 そこではきっと、「なあなあ」じゃない対話があったのだろう、とも考えられます。

 そういう「なあなあ、じゃない」対話をして、それでも山下が坂本に協力しようとしなかったのななら、山下はよっぽど「社会的な問題」に首を突っ込みたくないんだなあ、とは思いますよね。

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 なのでちょっと気になるのは、実は山下も若い時期、学生運動(または学生運動家)と関わってきたということです。坂本も学生運動(学生運動家)には傾倒した人間ですが、学生運動・学生運動家といえば、ともかく「社会的な問題を憂う」人たちです。
 世代的にいうと、山下も坂本もこの最後くらいの世代です。坂本はそこに残り、山下はそこから去った、という感じかも知れません。なのでふと思い出すのは、村上春樹です。

 学生運動の中心的な世代は、いわゆる団塊の世代です。村上がまさにそうですが、山下や坂本より4、5歳くらい上の人たちで、彼らはあらゆる「社会的な問題」に憂えていました。けれど、その学生運動の季節/政治の季節を過ぎてからは、「社会的な問題に憂える」をやめました。むろん村上もそのひとりです。
 村上の文学は、学生運動的な政治活動、市民運動とはおよそ隔たった内容です。少なくとも表面上はそうです。

 けれど、村上がそのように舵を切ったのは、少なくとも本人いわく「学生運動家のどうしょもなさを目の当たりにしたから」だったりします。
 本気で社会を変えようなどとは思っていない学生運動家、その運動があまりに軽薄で底が浅いことを目の当たりにして、もうこいつらは信じられないと感じたのが村上です。
 そんな失望を通して、村上は彼らから(つまりは当時の世間から、周囲から)距離を置くようになった。運動からも距離をとり、けして関わらないようにした。

 もちろん、周囲の学生運動家に失望したなら、なおさら村上は真の学生運動家として運動に残るべきだったのではないか? という言い方もできます。
 できますが、そういう話し方はまあ、やめておきましょう。

 べつに山下が村上と同じような失望を感じて、学生運動や「社会的問題に憂う人格」から離れたのだろうという話ではありません。
 かつて学生運動を通して「社会的な問題に憂う」をしてきた人の中には、以後、意識的にそういうものと距離を取ろうとする人間もいる、ということです。

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 かつて学生運動(学生運動家)とも交流し、おそらくそこでは社会的な問題意識を持っていたのだろう山下が、なぜそこから離脱したのかは分かりません。
 けれど、その時代が過ぎたあとも、坂本からの誘いを固持し続けたのが山下です。そして山下の楽曲には、社会的な問題意識を直接反映するような(いわゆるプロテストソングのような)ものは、おれの知る限りまったくありません。
 なのでおれからすると山下達郎という音楽家とは、「社会的な問題に首を突っ込みたくない人なんだろう」というイメージです。「たぶん意識的に、音楽や音楽活動に社会的な問題意識を持ち込もうとしない人なんだろうな」とも思います。

 若い時期に何があったのか知りませんが(何もなかった可能性もありますが)「才能至上主義」どうこう以前に、この人は「社会的な問題なるもの」「それに関わろうとしている人」からはぜったい距離を置くだろうなという、そういう印象ですよね。
 R・ケリーのことにしても、喜多川のことにしても、それらに触れようとしないのって単にそれだけのことじゃないの? と。

 てなとこで、松尾編もおしまいです。お疲れさまでした。



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