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理知を継ぐ者(60) 正義とは②

 こんばんは、カズノです。

【義と正義】

 舞の名手にしろW杯選手にしろ、その動き・連携にはまったく無駄のない機能美を体現しています。装飾美ではなく機能美、これを昔は「義(がある)」と呼んでいました。
 もちろん、そういう風に考えれば、この手の「義」は世間のどこにでもあります。例えば、するする魚を三枚におろしてみせる料理人の手際は「義」です。ごちゃごちゃ面倒になっている交通事情を手信号でさばく警官の姿も「義」です。
 いえ、365日家族の健康を考え、目先の変化も考えながら、飽きない食事を作り続けるお母さんだって、とっても「義」です。そのスタンスが尊いということではなく(もちろんそれもありますが)、そのように手を変え品を変え毎日を飽きさせない技術が「義」だということです。
 だから「義」とは実は、それじたいでもう「正しい」「美しい」「格好がよい」という意味なんですね。

「義」とはそれじたいがすでに「正しい」という意味で、例えば舞の名手なら「正しい動作をきちんきちんと選んでいるから、隙がない」ものになっているわけです。365日、家族の健康と目先の変化を考えながら献立を案出している主婦もまた、「主婦の正しい在り方」ですよね。
 だとしたら、その「正しさ」のうえにさらに「正」の字が付く「正義」とはなんでしょうか?

 いうまでもありません。「もっと正しい」「もっと美しい」「もっと恰好がいい」ということです。
「ただの正しさよりもっと正しい正しさ」「ただの美しさよりもっと美しい美しさ」「ただの恰好のよさよりもっと恰好のよい恰好のよさ」、それが「正義」というもので、だからこれは、「かっこいー!」のことなんです。
「かっこいー!」「きれー!」「これすっごいよくない!?」とか、まあそういう。

 というわけで、これから社会のことを知っていく子どもたちに、「正義とはまず『かっこいー!』ものです、これを覚えましょう」とする戦隊ものはぜんぜん正しいんです。日本語の成り立ちとして正統だし、日本社会の現実感覚として正確だということです。
 例えばSNSでのローカルな発信で、「冷蔵庫を掃除した。冷蔵庫がすっきりしてるのは正義だ」とか、そういう言葉遣いをする人がいますが、こういう『正義』の使い方こそ日本語では正統だということですね。




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