理知を継ぐ者(57) 譲歩または制約について①
こんばんは、カズノです。
【概要とモチーフ】
橋本治が、
「譲歩が表現を生む」
と言ったことがあります。どういう意味でしょう?
しばらくこれを考えます。
モチーフは三谷幸喜・脚本の舞台『笑の大学』にします。映画にもなってますね。興味があったら見てみてください。舞台映像も映画も市販されています。
【笑の大学】
『笑の大学』は戦時中の話です。舞台や映画や文芸その他への検閲を厳しかった時期ですが、「笑の大学」(わらいのだいがく)という劇団の座付作者である椿一(つばき・はじめ)は、舞台脚本の検閲のため、警察署に呼ばれて出頭します。担当の検閲官は向坂睦男(さきさか・むつお)といいます。物語はこのふたりの二人劇です。
「笑の大学」は喜劇を行う、当時でいう「軽演劇」の劇団ですが、これが向坂には気に入りません。国民総動員で戦局に挑んでいるこの時期に、お笑い軽演劇など不謹慎だと。向坂は椿の脚本をチェックし、「ここが問題だ」「これも問題だ」「だからこうしろ」と、いちいち難癖をつけていきます。
例えば、その脚本はシェークスピア『ロミオとジュリエット』のパロディで、つまりイタリアを舞台にしていますが、これを日本に変えろとか言います。舞台を変えれば人種もその性格も習慣も、セリフの言い回しも全部変えることになるので、かなり無茶な注文です。あるいはメロドラマなのに「お国のため」というセリフを入れろとか、さんざんな注文をつけていくのですが、要するに嫌がらせですよね。
椿はその嫌がらせ/注文を、でも受け入れます。「ここが問題だ」と言われたらそこを削り、「こういう人物を入れろ」と言われたら、物語にまったく合わないのにその人物を入れます。検閲は何度も行われますが、そのたび注意を椿は受け入れ、次にはその通りに直していきます。
もちろん、向坂は最初から「笑の大学」の公演を中止に追い込むつもりで、あれこれ注文を付けている(嫌がらせをしている)のですが、でも椿は必ず受け入れます。向坂の注文はどんどん厳しくなり、度を超したものになっていきますが、それでも椿は受け入れ、次の検閲までに脚本直しをしてきます。
つまり譲歩しつづけます。
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そういう無茶な注文/制約を受け入れ、譲歩し、直しをしてきた結果、脚本はよりおもしろく、完成度の高いものになっていったという、そういうオチで締められる物語/喜劇が『笑の大学』です。
つまりこれが、橋本のいう「譲歩が表現を生む」ということです。
椿は、だいたいこういうことを言います。「向坂さんから注文を付けられて、どうしようかと悩んで、書いているうちに、どんどん前よりよくなっていった。自分ひとりの考えでは、こういう物語はぜったい思い浮かばなかった。向坂さんのおかげで、この脚本はどんどんよくなっている」。
【椿の信念】
ではそのような、椿一とはどういう人物でしょう。なぜ彼は、嫌がらせでしかないような無茶な注文を、それでも受け入れてきたのでしょう?
彼はだいたいこういうことを言います。「なぜ検閲に立ち向かわないのかと、自分を責める劇団員もいる。オリジナルの脚本のまま通らないのは表現の自由をおびやかす政治体制だと批判し、検閲に従わず、オリジナルの脚本を残すため筆を折る同業者もいる。そのように抵抗をするべきだと言う人は多い。でも自分は違う。ここを直せと言われたらその通りにし、しながらそれ以上のものに作り直してみせる。自分は脚本家なのだから、それが自分の抵抗の仕方だし、戦い方です」。
政治──この場合の「政治」とは「自分の自由を妨げ、制約する、大きな力」と言っても同じですけれど、そのような力に対し、デモや抗議や署名をするのも手だろう。それを悪いとはいわないけれど、デモや抗議や署名をしてしまったら「自分が脚本家であるかどうか」は関係なくなってしまう。署名の一行の一市民でしかない。そういう立場も自分にはあるけれど、でも僕は「脚本家」なのだから、脚本家としての戦い方をしたい。
だいたいそういうことを言います。
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