禅語の前後:江路野梅香(こうろ やばい かんばし)
いつのまにか禅の言葉にされていたのだという、唐の詩人、杜甫の詩の一節。元の詩はずいぶん寂しいというか、寂しい中の自由というか、そんなふうな春の歌であるようだ:
時出碧雞坊、西郊向草堂。
時に碧雞坊を出で 西郊をば草堂に向う。
市橋官柳細、江路野梅香。
市橋には官柳細く、江路には野梅香し。
傍架齊書帙、看題減藥囊。
架に傍いて書帙を斉え、題を看て薬嚢を検す。
無人覺來往、疏懶意何長。
人の 来往するを覚るもの無く、疏懶にして意は何ぞ長き。
(杜甫 「西郊」)
(書き下し文:古川末喜「杜甫農業詩研究―八世紀中国における農事と生活の歌」より抜粋)
街の門を出て、西の郊外にある自分の草庵への帰り道、橋のたもとの柳は細く芽吹き、誰が植えたかわからない梅も香りはじめている。書帙や薬嚢が急に出てくるのは、杜甫はこのころ所持する本やら漢方薬やらを売って、その金で食いつないでいたことを示すものらしい。街でそういう売り買いをして、ひっそり独り戻る道すがらには誰にも出会わない。杜甫はどうやら、そういう侘しい生活を、疏懶な自分の性に合っていると、楽しんでいたようだ。
ところが、いつ頃、誰がそうしたのかはわからないが、「江路野梅香 漏洩西来意――江路 野梅香しく 西来の意を漏洩す」と改作されて『禅林句集』に採録され、「梅花漏泄西来意――梅花漏泄す 西来の意」と同義の句として用いられるようになった。
(芳賀幸四郎「禅語の茶掛 又々 一行物」)
西来意、とは、禅宗の初代である達磨大師が西の果てインドからはるばる中国にまで来たその理由、つまりは、禅の本質、を指す。
そうなると「川べりの名もない梅の花の香りが、達磨が西から来たその意味を匂わせている」というくらいの意味あいになる。『禅林句集』は室町時代の日本産のものらしいので、杜甫の詩を愛した日本の禅僧が、杜甫の詩の一節を拾ったのであろう。(あるいは、杜甫の断捨離というかメルカリというか、そういう生活に、何かしら禅の本質を見たのかもしれない。)
千年以上前の大陸の詩人も、五百年以上前の鎌倉室町の禅僧も、今日と同じように春先の梅の香りを感じて、ものぐさな気楽さとか、禅の本質だとかを連想したりしていたのだ。言われてみれば何となく、春先の梅の香りには、孤独と自由とが似合うような気もする。
帰りたいと思い時がきたようなので、城内西南の碧雞坊を出る。城外の西郊を経て草堂へと向かうことになる。
市橋にさしかかると柳が芽吹く前でほそぼそと垂れており、東流する錦江の路ぞいには野梅の花がにおい始めたようだ。
部屋に入ると売却して隙間ができた書棚に書衣をそばへ寄せて補う。薬の標題を看ながら売って減った薬の嚢を確認する。
ちょっと人目を気にして出かけたのだが往きもかえりもだれもそれに気がつかれないようだ。こんな隠棲生活は元来無精なのんびりした気持ちにどんなにか良いことであろうか。
(杜甫 「西郊」、現代語訳:紀頌之「漢文委員会」より抜粋)
ここで歌われている杜甫の草堂は、今や成都の観光名所になっているらしい。いつか春先に、同じ道を歩いてみたくも思う。