RUN‼カズマール 11本目~高校入試‼~

高校進学

 

皆さんこんにちは。
広島県福山市で市民ランナーをしているカズマールです。

陸上競技を始めた中学時代から、ついに高校へ進学します。

当時どんなことがあったのか?
思い出しながら振り返っていきたいと思います。 

それではどうぞ!!

さすがに県駅伝2連覇している強豪校だったから、高校の陸上部の関係者の方々が視察に来られていた。

のちに進学することになる西条農業と、駅伝部の強化をスタートする初年度だった如水館の先生も来てた。

実際に応接室に呼ばれて話をしたのは私の地元東広島市にある西条農業高校(以下西農)の池中先生。西農は当時、直近の3年間広島県高校駅伝で連覇していた。県チャンピオンの高校からスカウト、というかウチに来てほしいというお声がかかり、しかも会いに来て下さるなんて初めての経験だった。

ただ、ここでひとつ問題が。私は学業の方も成績が良かったので、親とモメた事もあった。親は工業高校出身でその後の進路が決まってしまったから(高卒で就職)、私には大学に行ってほしかったのだそう。
ただ、私自身はやりたいこと=駅伝しか見えてなかったので、1995年当時広島県高校駅伝3連覇していた西条農業へ行きたいと強く思った。

しかも、中学3年の中国中学校駅伝(県大会)で負けて失望しちゃったもんだから、余計に高校でも全国を目指したい!という想いが強かった。

実際、大会で仲の良い近隣のライバル達に聞くと、西農に行くよ!との事だったので、おれも!という気持ちもそこで湧いてきたというのもある。

西条農業に行くと言って聞かない私を不安に思い、親は先生に相談したらしい。先生からは「西農でも国立大学にいける」という実績があることを知らされる。

ちょうど、後に大学の先輩になる東徹さんが西条農業から国立の宮崎大学へ進学した頃だった。不思議なご縁があるものだ。

それで高校に入っても勉強を頑張ると約束し!?笑
西条農業への進学が許されることになる。
もちろん試験(推薦)は受けるが。

進んだ学科は「生物工学科」という。いかにもインテリ系笑 
推薦入試合格により受験が早々に終わってしまった(1月末だったかな?)ので、3年生は原則放課後は受験対策として教室に残って勉強をするのだが、特別に部活へ出て良くなった(過去パイセン達もそうしてた)。

受験が終わったあたりで激しく貧血だったので、高校入学までに貧血を治しておく程度のゆるい練習しかしなかったのもまたリフレッシュになったのかもしれない。

とにもかくにも、こうして私の中学校生活が終わるのだった。


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