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走塁について

息子のチームの練習の中には、走塁練習もあった。内野ゴロを打った時の「駆け抜け(かけぬけ)」やヒットを打った時の「オーバーラン」などシチュエーションごとに想定して行っているようだった。
ただし、初心者の息子はもちろんこんな専門用語を聞くのははじめてで、周りのチームメイトの見よう見まねで、頭に「?」を浮かべながら、まるで”流れ作業”のように練習していた。

その姿を見て私は直感的にこう思った。「これは単に時間が経っても慣れるものではないな」、と。
ただでさえ野球の試合は、その時その時で状況が変わる。その状況によって自分で判断を素早くくだしていかないといけないのに、その判断材料がない中で練習をしていたからだ。

しかも、その判断材料は初心者からしたら幾通りもあるように見える。
加えて、どうやらこれは息子だけの問題ではないな、ということにもすぐに気付いた。
なぜなら、練習しているチームメイトも自分自身がどう動いていけばいいのか理解していないのだろう、自分の動きが合っているのか確信が持てないままおそるおそる走塁をし、みんなが同じようなところで注意を受けていることに気付いたからだ。

走塁については、他のところでも今は無料で情報が取れるので、ここで敢えてお話しするか迷ったが、もしかしたら、他のお子さんも息子と同じように迷ったまま練習をしているかもしれないと思い、ここではあまり高度なテクニックではなく、小学生の息子のチームをみて、私が思った注意点をお話ししていければと思う。

ちなみに野球では、一塁と三塁の横に、「コーチャー」というのがいる。プロ野球では、コーチが立っているが、少年野球ではチームメイトが攻撃の時に立っている。彼らは、大きな声やジェスチャーなどでボールの位置を知らせたり、走るか走らないかの判断をランナーに伝えたりしている。

息子のチームの練習を見て違和感を感じたことが、そのコーチャーたちの声を聞いてランナーは走ったり、走るのを止めてベースに戻ったりしていたことだ。これは実は大問題である。

まず、大前提としてランナーは自分で次の塁に行くかどうかを判断する。なぜなら、その判断を他人(コーチャー)に委ねてしまうと、聞いてから走ることになり、その一瞬の遅れが0.何秒を競う中では命取りになってしまうからだ。
まずは、自分で判断していく意識を持つことが大前提で、そのうえで自分で判断できないような後ろの打球などは、後ろを見ながら走ると遅くなってしまうので、コーチャーの力を借りて走るスピードを緩めない、という認識でいるとよい。

小学校低学年でここまでできるかどうかは別として、走塁において、自分の判断をより確信するためにも、グランドコンディションや風向き、打球の方向や球足の速さ、そして相手の選手の肩の強さなど、いろんな場面を想定して、本来走塁は行われる。そのことを認識してほしい。

ここでの目的は、息子のようなド素人な野球少年が、走塁の意味や状況を理解したうえで、自分で考えて走塁できるようにすることだ。そのための方法を次回からお伝えできればと思う。そうしないと、いつまでたってもコーチャーに言われるままで、自分でどう動いたらいいのかわからないままになってしまう。

完全に余談だが、いいか悪いかは別として、昔は「野球をやっている」というだけで就職できた時代もあった。私の先輩は面接で、「○○大の硬式野球部です」、といっただけで、面接は終了し、面接官はその場でタバコを吸い、先輩にもタバコをすすめて、2人で世間話をして面接は終了したようだ。先輩は無事にその会社に就職できた。私自身はその恩恵にあずかれなかったが、それだけ「野球部の厳しさ」というのが社会にも役立つと世間では思われていたのだと思う。

だが、今社会の野球部に対する目は昔より厳しくなっている、と聞いた。それは、野球をしている人は、いわゆる「指示待ち」人間となっており、言われたことはしっかりこなすが、自分からは動こうとしないからだ。
今社会から評価されているスポーツは、ラグビーのようだ。ラグビーは一瞬で状況が変わり、その状況によって自分で判断していかないといけない。ものすごく速いスピードで変化している現代社会において、もはや指示待ち人間は求められていないのだ。

私は、就職の採用などに携わっていないので、この話が本当かどうかはわからないが、この話を聞いた時に妙に納得してしまった。指示待ち人間を作り出してしまっている、従来の我々の指導方法にも問題があることは確かだ。子どもたちの思考を奪っている自分の指導法を認め、これからは指導を進化させていこう、と彼らの走塁を見て、改めて感じることができた。

子どもたちの指導もいわば「生き物」で、時代や状況によって自分で適切な判断が求められる。しかもアウトは許されない。ホームまで絶対生還するんだ、と改めて背筋が伸び、襟が自然と正される、そんな思いが込み上げてきた。次の週末も楽しみだ。


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