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知と愛

ヘッセの作品「知と愛」では、ナルチスとゴルトムントがどちらを大切にしたらいいのかで悩んでいましたっけ?高校生の時の記憶で確かではないのですが、昨夜のTuuli研修会でキョーコちゃんと私が担当した繋がりのお話が、同じテーマをその二側面からまとめていたようで非常に興味深かったです。
(Tuuliのホームページで概要をご覧ください。)

お話のテーマは、外面的な見えるつながりと、内面的な見えない繋がりに気付いていくことで喜びが増していく!ということなのですが、同時に全ての繋がりを強化していこうとすると、ナルチスとゴルトムントの抱えていたようなジレンマが浮上してきます。つまり、内面的な繋がり、自分らしくあることと、外面的な社会との繋がりとの間でどちらかを優勢にするとどちらかが損なわれてしまう可能性がある、という問題です。

現代日本の問題は、みんなと仲良くするというような外的な適応が強調されすぎて、自分を失って辛くなっている人が多いということでしょう。同時に、自分らしく生きることで社会不適応でドロップアウトしてしまう人たちも深刻です。この問題をどう解決していったら良いのか、私は昨晩一つのヒントを得ました。

それは、超越とのつながりです。キョーコちゃんのお示しくださったつながりモデルは、自分自身、社会、自然の3方向のつながりでした。日本人に一番すんなり理解できる構図だと思いました。私が示したものは4方向あり、日本のモデルに加えて絶対者(一者・神・自然の摂理)とも繋がります。一神教の人格神の伝統がある世界観ではこちらが主流になるでしょう。3方向のつながりではその中での調整と調和が目指されていくのに対し、そこに超越という絶対的真理の基盤が入ると、全てのつながりの根源がそこに集約されていくという構図になります。日本にはそれがないということに気がつかされました。

言葉を変えると、キョーコちゃんが主宰している「畑を通じたコミュニティ」のような、大地にしっかり根差した生活を大切にした優しさに満ちた社会が、日本ということでしょうか。ほっこりした愛に包まれ癒される社会です。しかしながらこのような愛は母親的なので、行きすぎると飲み込まれ自立が妨げられ苦しくなります。超越とのつながりが基本にあれば、絶対者の前に個の自立が前提となって厳しい父親的な愛が出てきます。遠く永遠を見つめる眼差しになるために、家族や自分の仲間の幸せにフォーカスしていると、冷たく見えるような判断や行動に移るかもしれません。心優しい日本人はなかなかここに踏み切れなくて問題が長期化してしまっているのかもしれません。でもそれは漢方みたいにゆっくりじわじわ効くのかもですね。

知と愛、ナルシスとゴルとムント、天と地、アガペーとエロスとの統合は永遠の課題のようです。次回はこの課題をウイルバーの統合理論で説明していこうと思います。

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