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「残酷」という言葉について

動物素材を使用した作品制作をしていると、ときどき「残酷だ」というご意見をいただきます。

私自身は動物の死体を使用することを「残酷」とは思っていません。

私の作品を見て「残酷」と感じる方もたくさんいることは承知していますが、あくまで価値観の相違であって、どちらが正しくてどちらが間違っているという問題ではないと思います。

こういうことを言っていると「動物の死体を扱っているから、楽しんで動物を殺せる」という誤解からの批判を受けることもあります。

私の考え方をご理解いただいたうえでのご批判はきちんと受け止めたいと考えていますが、誤解に基づく批判はお互いにとって時間の浪費にしかなりません。

自分にとってなにが「残酷」なのかという線引きを明確にしておきたいと思います。

私が「残酷」と感じるのは「意味もなく楽しんで動物を殺すこと」「違法な手段で野生動物を捕獲して殺すこと」「動物に不必要な苦痛を与えること」です。

動物を虐待している映像をネットにアップしたりする人がいますが、そういうのに対しては、はっきり「残酷」だと感じます。

毛皮や食肉・動物実験等のために動物を殺すことに対しては、私は「残酷」とは感じていません。

私自身は自然死した動物・養殖等の合法的な手段で殺された動物を使用しています。

すでに死体となったものを加工してアクセサリーとすることを「残酷」とは思いません。

上に書いたことは、あくまで私自身の価値観です。

意見の異なる方もたくさんいらっしゃるでしょうし、その点からのご批判をいただくのは構いません。

ただ、私が言ってもいないことを捏造して批判されるのは困るな、と思います。

私の活動に対して批判的な立場から「この作家自身、死んでアクセサリーにされたらどう思うんだろう」というようなこともときどき言われます。

法的な問題があるので実際には無理ですが、私の肉体がアクセとして使われるとしたらすごく嬉しいです。

2016-03-01
アメブロの記事を転載しています。

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左・イヌ
右・ゴマフアザラシ

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