ビックデータと風の旅人

2003年に風の旅人を創刊した時、ビッグデータという概念はなかったと思う。しかし、インターネットが社会に急速に浸透し、膨大な情報がやりとりされるようになった。膨大な情報を使いこなすか、情報に翻弄されるかによって、人生が大きく異なってしまうだろうということは理解できた。

雑誌といえば、情報を扱う媒体であった。しかし、インターネットの中の情報に比べて雑誌誌面の中にある情報量などしれている。情報を伝達する媒体としての雑誌の役割は終わるだろうことは十分に予想できた。

そんな時代の状況下で、私は敢えて「風の旅人」という雑誌を創刊した。

私が考えたのは、情報が過剰で、かつ流動性の高い時代に、ニュースとしての情報を雑誌で伝えても意味がないだろうということだ。速さが求められるニュースはインターネットに任せればいい。インターネットの方が検索力もあり、情報の比較検討もしやすい。何よりも、瞬間ごとに生まれては消費されて消えていくような情報を、わざわざ紙を使って印刷するというコストのかかることを行なう意義を感じられなかった。

私が考えていたことは、まず第一に、膨大で流動的な情報のなかを生きるにあたって、情報に翻弄されずに、自分に必要な情報を選び取って生きていくためには、自分に軸が必要になるだろうということだ。自分の軸というのは、簡単に言うと、物を見る眼や、考える力だ。それらを養い、自分の尊厳が損なわれないような生き方を自分で模索しながら作り上げていかなければ、何のために生きているのかわからなくなる。情報に流され、翻弄され、後になって後悔しても遅いのだ。

ビッグデータという概念が浸透する以前から、人間の尊厳を脅かすような事態は進展していた。

たとえば、一人ひとりの死は、事故で30人死亡とか、津波で2万人死亡とか、死者数の数でカウントされる。また就職活動などにおいて100社に履歴書を送り、面接にこぎつける前に、出身校その他でふるいにかけられる。

男女の付き合いにおいても、背が高い、学歴が高い、収入が高いという「3高」という言葉でパートナーとなるべき相手を品定めしていた。人物本位などという言葉は建前で、人の評価などあてにならないということで、ラベルで人や物事を判断することが当たり前になった。産地偽装などの不正が簡単に通用してしまったのは、そういう背景がある。

そして会社が不況に陥ったらリストラが行なわれるが、それが大規模になると、一人ひとりを人間が判断することなどできないから、何かしらの数値で裁定される。多くの企業において出世も数値化することが簡単な減点主義ということになるし、大学入試なども、マークシート試験で、採点者の判断を入れることなく機械で素早く読み取れるという仕組みが導入された。

そしてローンや保険なども、それまでの履歴、収入、所属先の安定性など数値化できる条件によって決められていく。進学、就職、結婚、マイホーム、保険、そして死に至るまで、そのように数値で決定される。近年では、様々なSNS、インターネットの検索傾向、電車の電子式乗車券の記録など、様々な角度から得られる情報をもとに、一人ひとりの存在が決めつけられていく。

そして、どういう雑誌を購読しているかによって、個人の趣味とか年収、社会的ポジションなども、おおよそ特定化されてしまうし、広告スポンサーへのプレゼンを通すために、敢えてセグメントを明確にする雑誌も多い。40歳前後、キャリアウーマン、年収500万とか。

私は、風の旅人を作るにあたり、「そのように簡単に決めつけられてたまるか」という信念でつくりたかった。にもかかわらず、雑誌を作っているというだけで、セグメントは何ですか、ターゲットは何ですかと単細胞の脳味噌で尋ねてくる輩もいるので辟易する。

風の旅人自体が、そういうセグメントから自由であり、これを読む人もまた、こういう人だと簡単に括れない、括られたくないという自分の尊厳を大事にしようとしているのではないかと私は思っている。

情報が溢れている時代において、情報に踊らされないために、自分の軸を鍛えなければならないが、自分の軸を失ってしまうと尊厳も失う。

風の旅人の創刊のテーマは、『FIND THE ROOT」”根元を求めよ”だ。根元を見失うと、情報に踊らされるという懸念があり、それに抗うための雑誌づくりを目指した。ビックデータの時代になると、ますます、根元は大事になる。根元を大事にすることは、われわれの尊厳の土台づくりだ。変化の激しい時代だからこそ、変わらない価値を見いだす必要がある。単なる懐古趣味ではいけない。古さというのは表層的なことであり、長らく大切にされてきたものの根元にあるものが何であるかしっかりと把握できていなければ、古いものも単なる断片的情報の一つでしかない。私たちの周りには、古いものも新しいものも膨大にあるわけで、それらを表面的な違いによるジャンル分けをしてしまうと、今を生きる私たちの現実と、どんどん切り離されてします。古いものも新しいものも関係なく、その根元にある大切なものを探り当てて拾い出すこと。その上で一枚の織物を作り上げるように、ビジョンを描き出すこと。私が風の旅人を作るうえで、心がけていることはそういうことだ。

風の旅人のことを、日本では見られない写真芸術雑誌と言ってくれる人もいるが、私は、写真の力を重要視しているものの、写真というジャンルに関心のある人向けに作っているのではない。自分としては、ビジュアル哲学誌という言葉の方が適切だと思っている。

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