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「やさしさ」とは。

整理整頓時などで、たまに電化製品のパンフレットを見ることがあったら、後半ページのほとんどが”「故障したかな?」と思ったら”の説明に割かれていることに衝撃を受けることがあります。賃貸とかだと、備え付けのものが割と前の製品だったりするので、その仕様書とかですね。

内容を見てみると、

・電源のコンセントはきちんとささってますか?
・アダプタはきちんとささってますか?
・電源スイッチはオンになっていますか?

など、思いついたり、文字にするのが難しそうなことからスタートしてることが多いです。

ちょっと優しすぎん?

と微妙に違和感があったので、こういうのもそろそろ手放した方がいいことよなぁと思い出しました。

つまり何かって、

まあ、そのくらいやってますよね。一応書いとくんですけど。

ということは、もうみんなスルーでOKってことです。

メーカーとかお店とか、なんか万全を期すみたいなところが多くて、それって結構負担になってるんじゃないかって、素人的にも思います。

こういうのって過剰じゃないんですかね?と思うのですが、世の中的にはどうなんでしょうか?普通すぎて見過ごしてた!ってとこですかね。

なら余計に、持ってる優しさに間違いはないけど、それが過剰じゃないかっていうチェックが必要な気がしました。

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確かに、製品ならそれですぐ「コールセンターや!」と電話されたらメーカーとしては困ります。その対策として、説明書にあれこれ書くことが増えたんだと予測されますが、「いや〜取説に書いておいてよかったな!」と実感することってまあなかったと思うんですよね多分(予想)。

昔は問題が起こってもローテクに1つ1つ繋いでたんでしょうが、流石に今はAIチャットやなんやと分散しており、ずいぶん進化したものです。

でも取説の「故障したかな?と思ったらページ」も、何かといえば「故障してる!」と思った人間の思考回路を変えるのがいかにむずいか、を表してる気がしました。

故障してる!と一度でもそう思ったら、そこから抜け出るのは非常に困難です。”故障してるバイアス”を解除するのが非常に困難。

「買ったばっかりやのに」
「安かったからやっぱり」
「不良品や!メーカーが悪い!」

そうそう、山ほどこういうのは一瞬で出てくるんです。”故障してるバイアス”が強くかかってるとそうなります。

でもここで、「いや、故障っていうのは言い過ぎや。自分の方に不備があるのかも」って冷静になればチェックする順序もわかります。

でもそこからの離脱がめっちゃむずいよなぁ、です。

だから”目覚めの言葉”としての、「コンセントはきちんとささってますか」なのかもなぁと思いました。

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最近、自分がAmazonで買ったものは、ほぼ製造販売元が中国だったりすることが多いのですが、備え付けのパンフレットにそんな「故障したかな?と思ったら」みたいなことが書いてるのを見たことありません。

それに大体のことは紙には書いてなくて、Amazonの商品ページに掲載されてたりします笑 紙に印刷するのはリスク高すぎますしね・・・合理的な判断です。

自分が大層な製品を買ってないというのもありますが、大体小さい紙に、基本的な操作方法が書いてあり、3〜4ヶ国語くらいに翻訳された内容が掲載されてることが多いです。

でも、これでいいよなぁ・・・とほぼ自分が読めない言語が書かれた小さい紙を処分するときに感じます。

ちょい前の日本製品のパンフレットに書かれてる「電源プラグはささってますか?」に思うのは、「なんかものすごく狭い範囲の人に対しての語りかけ」という印象です。伝わる先はいったい誰なのか・・・日本人のお年寄り・・・??

そういう上のような”超親切”な時期を経て、ネットという自分で調べたらわかる世界が広大に広がってき、ことは「ググれカス」的な具合に進化してきました。

そしてさらに今はもう、超絶狭い範囲の人へ向けての語りかけはなくなり、「お互いの存在が認識できん」という分断された世界になった気がしてます。

でもきっと、それでいいのです。

わかってる範囲が違うもの同士が対話する場合、大体がわかってる人からわからない人へと寄り添うことが多かったはずですが、そうすることでどんなメリットがお互いに享受できるのかって考えたら、大して良いことなかったりするんですよね。

本当、実は良いことこれっぽっちもないんですよ。

なので、パンフレットの過剰な優しさを目の当たりにするたび、「そこまで寄り添わなくていい」という事実がもっと注目されたらいいのに、と思います。

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日本という国柄のせいなのか、なんなのか、「気を利かせるに越したことない」「教えてあげなくちゃ!」「念には念を」という感じの過剰な優しさをあちこちで感じることが多いです。

もっと相手に対して「あなたならわかるっしょ!」というのを大前提にしておく方が、なんかその人を尊重してる気がするんですが・・・。

ネットという場所を手に入れて、私たちの暮らしはずいぶん自立・自律的に構成できるようになったなぁと、歩いてきた道を振り返るばかり。

わたし作って提供する人
わたし買って使う人

こういう、昔のメーカーと消費者だったりする”タテの関係”から脱するときだとも感じてます。もっとみんな全体的に対等でいいんじゃないですかね。

伝える、という世界は深いなぁと私も日々実感します。

それではまた〜