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諦念と希望。

丹波篠山に引き篭ったままで、髭も伸びたままだ。疫学は門外漢なので、篭って国民の義務を果たしながら、黙して専門諸氏の発信をなぞるほか術がない。けれど、大型連休も終わり、世間は次の稼働に向けて少しざわざわしているように思う。そろそろ動き出さないといけないか。

この間、ずっとコロナ後の世界のことを考えていた。アフターコロナ、ポストコロナ、ウィズコロナに関する言説もネットを賑わすようになった。コロナ後には違う世界が訪れるのか、あるいは喉元が過ぎるのか、たぶんその両方なのだろう。

長く地域再生、地方創生に取り組んできた。仮説を立てて、将来像を描き、それを具体的に事業化するのが自分の役割だと考えてきた。

5年ほど前に、神戸新聞社からの依頼を受け、随想欄に7編を寄稿したことがある。地方の諦念と希望について書いた。ここに書いたように地方がどのみち滅びる命運だったのだとしたら、社会レベルでは、コロナを過度に恐れる必要はないことになる。

神戸新聞夕刊随想・金野氏㈰KM20150910329800

    (神戸新聞社さんのご厚意により、許可を得て掲載しています)

そして、これまでと違う世界がコロナ後に訪れるとしても、それは私たちが夢想していた世界に他ならない。何れにしても地方回帰、田園回帰は加速する。それが地方の現場にいる者の皮膚感覚である。

けれども、ひとつ考えなければいけないことがある。政府が「新しい生活様式」と言い、巷間が「新しい日常」「ニューノーマル」と言うところの、その空間はどのようになっているのか。暮らしや生業はどのようになっているのか。これまでにある程度見えてきたところと、まだまだ見えないところがあって、現実が進行しないと腑に落ちないところも多いと思う。

自律した地域社会という豊かなローカルとそのネットワーク形成を夢想してきたのだけれど、そのローカルに修正を加えなかればいけないようだ。「ニューローカル」とはどのような姿をしているのか。そのことを考えていきたい。

ニューローカル


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