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善と悪

私達が生きていると、色々な出来事が起きてまいります。そして私達人間は、それを自分にとっての幸、不幸と受け取り善悪で判断しています。
例えば、病気や怪我をする事や誰かに傷つけられたり、裏切られたりする事、大切な人を失う事など、自分にとっての痛みは私達にとって不幸であり悪として受け取られて来ました。
ですが、ほんとは私達人間は誰でも経験で知っています「人間は、良い事よりも悪い事を経験して乗り越えた時の方が、人間としてより大きく成長出来る」という事を✨

私にしても、確かに病気は辛い経験でした。
人一倍動いているのが好きで、スケジュール帳を真っ黒にして動き回っていて、乗り物も乗るのが大好きで、お掃除や整理整頓も大好きだったのに、それが全てやれなくなり寝たきりになりました。そして、神様も自分の運命も一時は恨みました✨

けれど、病気したおかげで私は人様に甘える事を覚え、人様に頼る事が出来るようになりました。それまでの私は、人様に頼る事が出来なかったのです。それは、人様を心から信じる事が出来なかったのだと今なら分かります✨

また、辛い時に「辛い」と弱音を吐いたり、愚痴を言う事も病気になる前の私は出来ませんでした。だからずっと「私は、弱くない!」と自分に言い聞かせ「強く、もっと強くなくては」と思って、自分の弱さを認めず弱さと闘うように生きてきました。
でもそれも、結局は人様に頼れるほど人様を信じる事が出来なかったからだったのだと分かる事が出来ました。そしてそれは同時に、自分の事を信じられないから起きていたのだと思います✨

そして、私はけっこう頑固な人間なので、こうして病気にならないと人様に頼るという事が出来ずにいたのだと思います。それと、夫婦の課題もまだ乗り越えさせていただけずにおりますので、私はまだ完全に病気を治す事が出来ていません。
ですが、それを終えるのももうそんなに遠いお話ではないように感じています✨

それから、私は退行催眠療法(前世療法・過去世退行・ヒプノセラピー)のカウンセラーでもありますが、クライアントさん達をカウンセリングさせて頂く中でもそうした気づきを得たことがございました。
それは、例えばあるクライアントさんは、ずっと前の人生では人様を虫けらの様に殺す事を何とも思わない人間でした。しかし、その後の人生では、可愛い娘を目の前で殺されたり、家族が洪水で皆亡くなってしまうという経験をさせられたりして「人の命の大切さ」を学ばせられる人生をたくさん生きていました。
そして、それらの人生でたくさんの痛みを知った事で、最初に自分が虫けらの様に人様を殺していた自分の過去世の記憶の映像を見た時には、ショックを受けて号泣する人間に今世の彼女は変わっていたのでした。彼女の魂の数々の人生で経験した痛みや不幸が彼女を変えたのだと思います。
そして、彼女が今世生まれて来て学んでいるのも「人の命の大切さ」なのだと、クライアントさんの内にある高次元の存在がカウンセリングの中で教えて下さいました✨

私は思います。
本当は、世の中にあるのは出来事だけなのではないかと。そこには、ほんとは善も悪も存在しないのではないかと。そこに善悪の判断をしているのは私達人間で、神々や高次元の存在からすればそれらは全てが「その人間を成長させたり、気づきを与えたり、ただ経験させるために起きている出来事」でしかないのかも知れません。だからこそ、幸せだけではなくて不幸さえも「神々や自分(高次元の存在としての自分)からの贈り物」と言えるのかも知れません。そして、そこに本当に気づけた時、私達の人生に意味のない事は起きないし、意味のないものはないと言えるのだろうと思います。
あなたと私の人生が、さらに煌めく事を祈ります✨

本日も、最後までお読みいただいて有難うございました✨

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