俳句の「取り合わせ」

俳句には、「取り合わせ」という手法がある。

俳句をやっていれば、よく聞く言葉であるが、説明せよと言われれば、ちょっと説明できない。なぜなら、自分自身がその俳句の真意を理屈で説明できない状態のままで読み手に提出しているから。読み手はその解釈に困ったり、楽しんだりしている。そういう意味では、「取り合わせ」は、読み手主導である。

「人を好きになること」と俳句の取り合わせについて考えた。人を好きになる時、「その人のここが好き」と言える場合と、「なんとなく好き」という場合がある。この時の「なんとなく」に取り合わせは似ている。でも、その時の読み手(相手)は、楽しめるだろうか。「なんでわたしのことが好きなの、わたしのどこが好きなの…」と相手に聞きたくなる。俳句でいえば、解釈を求めたくなる。

俳句ならば、「いかようにも」と答えられるが、「わたしのどこが好きなの?」と聞かれ、「いかようにも」と答えたら…ねえ。

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