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まのいいりょうしのできるまで #6

前回からの続き。。。

まのいいりょうしのできるまで #5|風博士 (note.com)

「マイホームツアー、そして定住」

マイホームツアーは五ヶ月間で50箇所を巡る旅となった。北は北海道から、南は鹿児島・沖縄まで。先の「風博士の風まかせツアー」で出会った友人や旧友たちに妻を紹介しつつ、自分たちの住む場所を探す。こんなに贅沢な新婚旅行はないだろう。僕自身、今までの一人旅とは違い、パートーナーとの自宅(車だが)での旅は、本当に楽しく、美しい日々であった。

思い出は深く、いくつもあり、書けばきりがないので書かないが、とにかく、身重なのに運転手だった妻のお腹がハンドルにつかえて運転しにくくなるころまでツアーは続いた。

前述の通り、このマイホームツアーは、自分たちの生活する場を探す旅でもあった。旅をする中、様々に候補があって、ここで住まないかと言ってくれた人もあった。本当にありがたいことで、その選択のどれもが魅力的であった。さんざん話し合って悩んだ挙句、僕たちが住むことになったのは、山口県周南市であった。

周南市には妻の母方の実家があった。妻にとってのいわゆる「おじいちゃんのうち」である。当時、その実家の家主である妻のおじいちゃんとおばあちゃんは介護施設にお世話になっており、家は半ば空き家状態だった。

近所に妻の親戚の叔母さん家族が住んではいたものの、僕も妻も周南市には不案内であり、その不案内であることがむしろ僕たちをワクワクさせた。そのおうちは周南市の少し小高い山の中腹にあって、ベランダから見える瀬戸内海の風景がとてもよかったことも、気に入った理由のひとつだった。僕たちは、お願いして、その家に住まわせてもらうことになった。

ここで腰を据えて、子育てしながら、新作をつくってまた歌いに出る、そんな生活をする予定であった。

長野を出発して、五カ月後に再び長野に戻り、マイホームツアーを終了とした。その後は、いったん僕の実家の浦安に戻り、妻の出産準備を整えて、妻の実家のある鳥取に移動した。僕はようやく免許を取得し、博物館でイベントをしたりしていたら、第一子が無事生まれた。そうして周南市での生活が始まった。

続く。。。

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