『キュリー夫人の手』として出回っている画像は本当にキュリー夫人の物なのか

以下のようなまとめサイトの記事を見ました。

ビュー数を稼ぐためならセンセーショナルな見出しとショッキングなサムネを付けて、掲示板の住人の発言という体で真実ではない情報もそのまま垂れ流すまとめサイトの情報をそのまま鵜呑みにする人はいないかと思いますが、どうやら以下の画像がキュリー夫人の手としてネットに出回っているのは確かなようです。

画像1

キュリー夫人が放射線に被爆して健康被害を受けたこと(本人は認めなかったらしい)は有名な話ですが、しかし私はキュリー夫人の手がこうなっていたとは聞いたことがありませんでした。Wikipediaのキュリー夫人の記事なども見てみましたが(これはこれで完全に信頼できる訳ではないですが)そのような記述は見つかりません。

という訳でこの画像の来歴を辿ってみようと思いました。まず、画像をGoogleの画像検索にかけてみます。Twitterなどでも同じ画像が流布しているのが見て取れますが、IAEAが公開しているスライドのPDFなども引っかかりました。とは言え、このPDFには画像の詳細がなく来歴は分かりませんが、IAEAが引用する程度には確かな出自があるようです。

別バージョンの画像も見つけました。

画像2

画像下部に英語のキャプションが付いています。おそらく画像1はこの画像2を元にして、英語キャプションを削り日本語キャプションを付けたのではないかと思います。元々は英語圏でこの画像がキュリー夫人のものとして出回っていたということでしょう。(追記)キャプションは英語ですが上に後付けされたと思しき "La main de Marie Curie" はフランス語なので元々はフランス語圏で出回っていた情報かもしれません。

この時点で、かなり怪しい部分があります。というのも、画像2の英語キャプションでは "death from disseminated cancer occurred in 1933" と書いてあるのですが、キュリー夫人の没年は1934年です。一方、画像1にはキュリー夫人の正しい生没年が書いてあるのですが、そうすると画像1の作者は正しい生没年を認識した上で、それと矛盾するキャプションを削っていることになり、悪質性が疑われます。

さて、そうなるとこの英語キャプションは正しいのか、という問題になる訳です(例えばこのキャプションを書いた人が没年を1年間違えたとかそういう可能性もない訳ではありません)

そこで、キャプションの一部を""で囲んでGoogle検索をしてみると、"the hand was amputated in 1932" で調べたところアメリカの原子力規制委員会(NRC)が公開している、1980年代に作られたらしい "Working Safely in Gamma Radiography" という書籍のPDFが見つかりました。これの27ページ(PDFとしては33ページ)に画像があり、右下キャプションに検索した文字列が含まれています。画像2の来歴ではないと思われますが、同じ画像をソースにしているのは間違いありません。

このNRCの資料ですが、ちゃんと出典が書かれており、161ページ(PDFとしては167ページ)のPhoto Credits and Acknowledgmentsという表によると、

Oliver and Boyd, Publishers, Edinburgh, Scotland (from W. F Harvey, "Review of Irradiation Effects on Cells and Tissues of the Skin," Edinburgh Medical Journal, Volume XLIX, No. 9, Sept. 1942, pages 529-552 and following plates.)

となっています。1942年のEdinburgh Medical Journal(エディンバラ医学ジャーナル)の論文のようですが、この論文タイトルで検索するとアメリカ国立生物工学情報センターが丸ごと公開しているページを見つけました。同じ画像も鮮明な形で公開されています。

画像3

何度も加工された後の画像1では白黒写真のようにも見えましたが、元はスケッチだったようですね。他の画像でも共通して見られる右下の1、2という番号はこの論文の添付順ということのようで、おそらく別の書籍などを通して何度か転載されたものと思いますが、この論文が画像の大本ということで間違いないようです。

論文の画像解説ページを見ると、より詳細な内容が載っています。

1899年に25歳、1933年で享年57歳だった人のようです。これはこれで1歳分計算が合わないですが、1899年時点で32歳、享年66歳だったキュリー夫人とはどう考えても別人でしょう。

結論としては、この画像はキュリー夫人と同じ時代を生きた放射線技師の誰かのものですが、キュリー夫人のものではないということになります。

キュリー夫人が被爆したこと、同時代に放射線の危険性が知られていなかったため多くの被爆者を出したこと、そして放射線被害で手がこのようになってしまった人がいたことは真実ですが、これをキュリー夫人の手とするのは間違いなくデマと言えるでしょう。

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