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私がこの世に残したいもの。


#いま私にできること  

ブログを始めた。

アカウントを作成して、少し覗いてみたら、この募集中のタグが目に入った。

「いま私にできること」とは、自分にとってそれは、おそらく今までずっと、これしかできないことと同じで、答えはいつも一つしかなかった:

この世に生きたことの、証を残すこと。

世界から力をもらってこの生を終わらせるだけではなく、自分なりのやり方で、何かをささげてあげないと、ただの、ただの人口数に過ぎない存在になる、と思ってきたし、そう、思ってもいる。

それについてちょうど、今見終わった動画について、誰かに、何かを伝えたいと思い、ブログに。

だけど、とりわけ何かの返事や感想が欲しいとは思っていないので、ただ、今の自分の考えとか、忘れたくない信念などを記録したいだけだ。

なので、聞き手がブログでも構わない。


【一】面白いと思った言葉。

宣(たのま)う。少し古い言い方らしいです。発音も気品があって好きだ!

爪紅(つめくれない)。落ち着いた読み方で少し意外だった。この言葉を耳にしたとき、ふと、「雪ひとひら」で覚えた「黄菊」という単語をい思い出した。当時読み方を調べていた時、「襲の色目」に惹かれて大喜びしたな。

かんこ鳥が鳴く。やはり思った通り、中国語の「門可羅雀(門前雀羅を張る)」とは同義だね。さりげなく使われていたから、危うく聞き逃してしまうところだった。素敵な出会いだった。


【二】社会における情緒。

「歌というのは、所詮情緒的なもの。あなたはその文才を、もっと社会の役に立てるべきではないでしょうか。」――環

然り。

情緒の世界に浸っては、何も生み出しやしない。

その世界から身を引き出せないなら、一層のこと、浸っているしかいられないことを糧に、燃料に、何かを作り出せばいいのだ。

私はかつて、世間知らずで、中二病で、悲観的で、ネガティブだった。

今でもあまり変わっていないけど、待つのを、やめた。もらうのを、やめた。救ってくれるのを、望まなくなった。その代わり、自分の足で歩きだし、意味のない感傷から教訓を得て、救われる側の位置づけを捨てた。

それでいて、この生に意味を見出したとはとても言えないでしょう。

ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、近付いただと、思いたいのだ。

目指せる目的地があれば、生きるのも幾分、ましになるであろう。


【三】君を守りたいと思うのは。

正直、自分は啄木が最低な生き方をしていると思っている。才能があるものの、その長所を生かして有意義な生活を送ろうともしない。社会の一部たる人間は、生きるために最低限の縛りを持っていなければ、必ず誰かの迷惑になる。それは、その迷惑を喜んで引き受ける友を持っているかどうかとは関係ない。

そのうえ、私は、金田一が啄木を当たり前のようにそばにいる現実を守るため取った行動や言った言葉に深く賛同せざるを得なかった。なぜなら、私もその立場なら、そうしたはずだから。

啄木がどういう人間であるより大事なのは、金田一が啄木のいる人生がどういう人間であることだ。啄木は、金田一が望むあり方を与えていて、金田一は、それを重んじて、啄木がどんなことをやらかしてもこの状態を保つために何度でも自ら進んで事態を収めようとした。

これはまさに、私が考えている理想的な、生涯を共にしたい存在との接し方だ。

それが親友であろうか恋人であろうかとは関係なく。

「君を守りたいと思うのは――

私が、君と一緒にいる時の自分になりたいからだ。」


ただ、一人の人間に、すべての面において、完璧を求めるのは、非現実的だと思う。

ただでさえ生き延びるだけで苦しい世の中で、一つだけでも、人並み以上にできれば、それだけで立派と言えるでしょう。

何一つできもしない平凡な人間が、天才に向かって、文句を言えますまい。


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