映画『遮那王』『お江戸のキャンディー』の感想

※後半から映画『遮那王 お江戸のキャンディー3』および『お江戸のキャンディー』のネタバレを含みます。必ず鑑賞してからお読みください。

 先日、下北沢トリウッドさんで、映画『遮那王 お江戸のキャンディー3』(五回目)および『お江戸のキャンディー1、2』を鑑賞してきた。なお、1月25日からは大阪シネ・ヌーヴォさんで公開される予定である。
 私はお人形愛好家であり、『遮那王』では中川多理先生の至高のお人形、朱殷さんが大姫人形として映画に登場するということで観に行ったのだが、銀幕に大写しになった稀代のお人形の姿には感動を覚え、同時に、展覧会では手の届く程の距離で目前で観られるお人形が、銀幕の向こう側の手の届かない所に存在しているのを観る感覚は新鮮で、「手の届かないお人形」という印象をもたらした。元より、繊細な造形美とこちらを圧倒する存在感を纏う中川先生のお人形は神々しさにも似た神秘性を感じさせるが、銀幕の中ではより「手の届かなさ」をはっきりと味わうことになる感じを受けた。
 また、劇中でお人形を丁寧に扱っているのが好印象で、安易に「お人形怖い」あるいは「子供の玩具」といった固定観念に迎合せず、真にお人形の芸術的価値を理解した上で劇中に登場させているのが伝わってくる。この辺りはお人形への造詣の深い監督ならではの扱い方と言っても良いかと思われる。まず、お人形について大満足であった。
 そして、弁慶役の三浦涼介さんを始めとした超絶美形の俳優陣の美しさを心ゆくまで堪能できる作品となっている。三浦さんは『仮面ライダー オーズ』でご存知の向きも多いと思われるが、本作ではゴージャスなウェーブの長髪で、ハリウッドセレブをも凌駕する程の美形さを放っていた。映画『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセンをも凌駕すると言えば、どれ程の美形なのかがお分かりいただけることかと思われる。私の知る限り、男女含めて、これ程の美形は見たことがない。

 超絶美形の美男子たちと稀代のお人形に彩られた、強い美意識によって貫かれた映像美は病み付きになる程の魅力があり、この作品ならではと言えるであろう。
 その物語としては、源平合戦を土台とし、『ロミオとジュリエット』のエッセンスを加味した感じになっている。ただ、これは『お江戸のキャンディー1』の分かりやすさ、爽快感との比較にもなるが、『お江戸のキャンディー1』での「運命の恋」の筋書きと比較して単純ではなく、三角関係、四角関係となっていることが、やや複雑になっているようにも感じられた。具体的には、遮那王×弁慶の関係性が最終的なメインではあるが、『ロミオとジュリエット』モチーフとしては遮那王×知盛の関係性が「運命の出会い」として扱われており、さらに、遮那王自身としては、遮那王×頼朝の関係性を望んでいる(片想い、ただし、「死の接吻」により成就したと見ることもできる)という、複雑な構図となっている。冒頭のナレーションで「遮那王を巡る物語である」とあるように、それらの関係性の中心にいるのが遮那王であり、この物語は、遮那王が頼朝、知盛との関係を経て、最終的に弁慶との真実の愛に目覚めるまでを描いたものであると見ることができると思われる。エンディングテーマとして流れる弁慶役の三浦さんによる切々とした歌声は真に迫っており、特筆に値する。

 ここで、『お江戸のキャンディー1』の完成度の高さについて言及しておきたい。なお、『遮那王』と『お江戸のキャンディー1、2』とは全く異なる設定の物語である。
 江戸時代のような舞台設定で、妖しげなクラブのような茶屋で働く美男子たち、夜な夜な「キャンディーボーイ」のサウンドに合わせて踊る妖艶な姿、とりわけ、上半身裸のフリ松役の高橋ひろ無さんの肉体美が水も滴る瑞々しさを放っている。この妖艶さが全編に渡り支配しており、『白鳥の湖』モチーフの悲劇的な筋書きと相まって、絶妙なハーモニーを奏でている。これは、この作品ならではの魅力であり、私の知る限り、他に類を見ない。
 上記の「キャンディーボーイ」のダンスの妖艶さと比べれば、『遮那王』はやや大人しい印象を受けるが(冒頭のシーンを除く)、逆に、より重厚な感情表現を目指しており、剣舞や殺陣などの見所もあり、より本格的な内容になっているようにも感じられた。どちらの方がより好みなのかは、個人の好みの問題となるであろう。ディープさ(妖艶さ)では前者に軍配が上がるが、洗練さ(本格派)では後者に軍配が上がるかと思われ、甲乙つけがたい。どちらも一見の価値のある作品と言えるだろう。個人的には、「お人形」という要素をもって後者を推すところである。

 『遮那王』で私が最も感動したシーンは、やはり最後のシーンである。悲劇的な結末を迎え、弁慶を想いながら彼岸へと向かっていた遮那王が辿り着いた束の間の別の時空。そこでは、桜の舞い散る暖かな女だけの世界で、仲睦まじくしている女遮那王と女弁慶の姿があった。女弁慶に「幸せか」と尋ねる遮那王、その表情には深い満足そうな微笑が浮かんでいた。それは、男だけの殺伐とした苦界では得ることのできなかった、幸福の形であった。
 後に残された美しい大姫人形は、この幸福な二人に、暖かな世界に相応しいものであったろう。稀有な存在感を放つ至高のお人形を抱き上げる女弁慶と女遮那王、彼女たちの周囲には暖かな陽射しが満ちており、男である遮那王たちが手を伸ばしても得られなかった真の幸福の形がそこにあった。
 このシーンを観る度に、私は目頭が熱くなるのを止めることができないのである。


 了

 


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