京都再発見と「狐娘展」の思い出

 先日、京都は山科、春秋山荘さんでの「狐娘展」を観てきました。
 その前に、余った時間を利用して恒例のお寺参り。いつもの南禅寺金地院に、おそらく四度目の参拝をいたしました。
 その時に私が感じたことは、以下の通りです。

「京都再発見」

優に十回以上は訪れている京都
率直に、飽きてきたかなと思っていた
けれど、今日はどうしたことだろう
今日の京都は、金地院は、これまでとは全く違う顔を見せている

私は一体、何を知っていたというのか
大方はもう知ったつもりになっていた
足元の苔ひとつ、草ひとつ、石ひとつを見ても、新しい発見がある

ここはもう見たことがあると言って、
ずかずかと歩いて通り過ぎるだけでは決して見つけられない
この季節、この時間、この瞬間にしか出会えない、京都

四度目の金地院は、右を向いても、左を見ても、見たことのない、新しい景色ばかりだった
見たことのない私の知らない花が咲いている
木漏れ日が地面に微妙な模様を描き出している
苔生した庭が見たことのない配置をしている

ゆっくりと歩けば良かったのだ
じっくりと味わえば良かったのだ

足を止めただけで、振り向いただけで、ゆっくりと歩いただけで、
こうも見え方が変わるのか
視点を変えただけで、まるで別世界ではないか

私は一体、何を知っていたというのか

 そして、「自分は、古刹の静謐な凛とした空気、古さびた雰囲気が好きなのだ」と再認識いたしました。
 古刹って、良いですよね。

 その後、春秋山荘さんで開催されている「狐娘展」を訪れました。

http://www.yaso-peyotl.com/archives/2019/03/kitsunemusume.html

 軒先に提げられた立派な杉玉に迎えられ、敷居を跨げば、そこは重厚な空気に満ちた異空間。
 私はいつも不思議な空間だなと感じます。不思議というのは、神秘性、底知れぬ深み、長い時を経たものだけが纏う、独特な雰囲気。
 今回は、狐たちの跳ね回る宴、稲荷のご開帳の祝宴。
 たくさんの狐面や狐の人形や絵画や張子たち、稲荷のご本尊、妖しさのある掛け軸、等々。
 いつもながら、繭や竹などが絶妙に組み合わされた、中村先生の空間演出が見事です。

 私が特に惹かれましたのは、やはり、土谷先生の「volpe」さんでした。
 褐色の肌を持ち、艶やかな長い黒髪の、目力の強い子で、しなやかな身体造形が狐らしい俊敏さを表現されているように感じました。
 そして、写真で見るよりも可愛らしいと感じました。写真ではシャープな印象でしたが、横顔や様々な角度から見ると、可愛らしい表情を見せてくれるように思います。
 銀沙の沈んだような、ガラスの作り目(?)が神秘的で、人間ならざる存在であることを意識させて、とても良いなと思いました。
 また、中川先生の、狐面を被った可愛らしい「プティ」の子たちも、とても愛らしかったですね。

 そして、ご本尊の背後を飾る麻生先生の手になる掛け軸には、狐の嫁入りの妖艶な姿が。美しい白無垢の狐娘を囲むのは、髑髏の狐たち。じゃれついているようにも見える髑髏の狐たちは花嫁狐の弟妹たちなのでしょうか。晴れの日であるべき嫁入りの舞台は暗澹たる夜、花嫁と髑髏という対比が妖しさのある世界観を繰り広げています。
 「こうこうよ」と題されたこの絵画に出典があるのかは私には分かりませんが、煌々たる夜、「煌々夜」 
 あるいは、「コウ」という狐の鳴き声を表しているのかなと思いました。「コウコウ夜」(実際に狐が「コウ」と鳴くのか否かは私には分かりませんが)

 新たな発見のあった、春の終わりの京都旅行。少し迷いましたが、行って良かったです。
 ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?