映画『響-HIBIKI-』を観た感想〜天才と凡人の狭間で〜

昨日、今日と二回、映画『響-HIBIKI-』を観てきた。
原作は未読であり、昨年末の紅白歌合戦の一件も記憶に新しい平手さんが主演する映画ということで興味を持ち、事前情報なしで鑑賞した。
なお、私はただの労働者であり、また、普段、アイドルについては興味がなく、映画についても詳しくない人間であることをご承知おきいただきたい。

映画はとても良かった。
天才にして暴走少女である響の平手さんの演技がとても良かった。
私は、お母さん役である担当編集者の花井さんに感情移入して観ていた。ヒロインを見守るお母さん・お父さんの視点である。
内容としては、特に、三十路のフリーター兼売れない小説家の山本氏の描写が秀逸であったと思う。

特筆すべきは、エンドロールで流れる主題歌の歌詞が、劇中ではブラックボックスであった響の内面を詳細に歌い上げるものになっており、この歌があってこその作品として評価できる。

「みんなが期待するような人に絶対になれなくてごめんなさい。」

この歌詞を聴いたとき、ゾクッとした。
この主題歌のおかげで作品としての完成度が格段に高まったと思う。
現時点でCDは未発売のようだが、早く発売してほしいと思う。

※以下、映画の内容のネタバレを含みます。必ず鑑賞してから読んでください。




――四畳半のアパートの一室。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋。
雑然と本が散らばっている。
その中央で机に置いたノートパソコンにかじりつき、一心不乱に作業をしている。
寝食をも忘れ、一心不乱に――。

このような経験をしたことがある方は、この映画を観て共感を覚えることだろう。
小説に限らず、絵や音楽、ゲーム制作などもそうだ。
この映画は、クリエイター(アーティスト)に向けたものになっている。
天才ヒロインによる青春ラブコメ学園ドラマにしなかったことを、私は高く評価したい。
そのような内容にした方が興行収入的には当たったのではなかろうかと思うが、あえて、その路線を選ばず、より「売れにくい」方向を選択した決断を、私は評価したい。
アイドルに興味がない、おじさんが観ても楽しめる映画に仕上がっていると言えるだろう。
尤も、ありきたりな青春ラブコメ学園ドラマを期待していた向きには肩透かしになるかもしれない。
その結果、この映画が興行収入的に奮わなかったとしても、その決断を私は支持したいと思う。
結果はどうあれ、この作品を生み出し、世に問うたこと自体が評価されるべきだと思っている。

物語の構造としては、三人の物語が軸になっている。
すなわち、孤高の天才・響のサクセスストーリー、凡人以上天才未満の凛夏が天才の壁を目の当たりにし、それでも小説を書く意味を問う物語、そして、三十路のフリーター兼売れない小説家の山本氏が夢破れ、家族を失い、死を選ぼうとする物語。
この内、前者二つは響と凛夏の友情物語として包括できるとすれば、響・凛夏の物語と山本氏の物語の二本柱に集約することもできるであろう。
そして、私がこの作品を高く評価する理由は、山本氏の物語にある。
三十路のフリーター兼売れない小説家の男、家族にも先立たれ、カーテンを閉め切った薄暗い四畳半の部屋で一心不乱にノートパソコンを叩いている。
彼には、もう後がない。真っ当な就職もできず、親孝行もできず、三十路の半ばとなり、もはや若者とは呼べない年齢となり、それでも、夢を諦めきれず、今年こそは、という担当編集者の言葉を支えにして、「夢にしがみついている」。

この、「夢にしがみついている」という感覚は、三十代以上のクリエイター志望者であれば、理解できるのではないだろうか。
(ちなみに、私も曲がりなりにも小説家志望だったりする。文学賞に応募したこともあるが、二次選考止まり程度である。)

その、崖っぷちの彼の最後の一縷の望みを断ち切るのが、主人公の響であり、彼女の成功が彼を死に追いやったという見方もできるだろう。
これは、まさに、サクセスストーリーの光と影である。
一人の成功者の影では、何千、何万人もの失敗者が存在するのが現実である。彼らは挫折を味わい、普通のサラリーマンとして再就職をして、残りの人生を暮らしてゆく。
巷に溢れている、「夢と希望の感動サクセスストーリー」では、決して、描かれることはない、本当の、人生の闇の部分である。
原作がそうであったのだろうけれども、ここに切り込んだことを、高く評価したい。

では、この永遠の命題について、この物語ではどのような結末を用意したのか。
死を選ぼうとした山本氏に対し、響が言ったことは、「評価されなくても良い」ということだった。

「あなたの小説を面白いと思った読者は必ずいたはず。
 作者の分際で、読者が面白いと思った小説を否定しないで。」(意訳)

これは、身に染みるであろう。
あくまでビジネスとしては、売れなければ失敗である。
小説を生業とするならば、売れなければ生計が成り立たないわけであり、売れるか否かは文字通りの死活問題である。

それでも、書きたいものを書く――。

これは、他者からの悪評(バッシング)をも意に介さない響の生き様と通じているであろう。
悪評を意に介さず、評価されなくても挫けない、ということである。
あるいは、『論語』の言葉には、以下のようなものがある。(思い付いたので、薀蓄をご容赦いただきたい。)

「人知らずしてうらみず、また君子ならずや。」
(他者から認めてもらえなかったとしても、恨みに思ったりしない、それが立派な人物というものだ。)

映画の全体としては、天才少女・響の暴走っぷりとそれに振り回される担当編集者や友達たちの様子を楽しむ形になっているが、
上記のような、サクセスストーリーの光と影、特に、三十路のフリーター兼売れない小説家にスポットライトを当て、天才少女と三十路の男との邂逅をクライマックスに持ってきたことが、この映画の白眉であろうと思っている。

この映画が人気となってくれることを、私は願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?