帰国、そして

◎ファンタジーワンドロライのお題(2019.01.29)で書いた話です。
所要時間は、本文で1時間30分、字下げや修正等で30分、合計2時間。
使ったお題:エキドナ、吹雪、王子


 ある王国に、一人の王子がいた。
 剣や槍の腕に優れ、【戦神の生まれ変わり】だと言われていた。
 しかしある時、彼は消えてしまった。それも、帝国との戦の最中に。
 吹雪の夜、野営地から出ていく王子の姿を見た兵士がいる。王子は何かを叫んでいたようだが、強い風雪に紛れて上手く聞き取れなかった、と兵士は証言した。

「ピュトーン王子が消えて、今日で十五年ですね……王」
「王と呼ぶのはやめろと言ったはずだ。今の私は、王どころか、ただの民草なのだからな……」
 王と呼ばれた老人が、かつて騎士団長と呼ばれた男性を諫めた。
 ――王子が消えた後の王国の陥落は、あっという間だった。それこそ、枯れ葉が風にさらわれるように容易かったという。
 王国には、軍の要が二つあった。一つはピュトーン王子であり、もう一つはこの騎士団長だった。
 だが、一つの要がなくなったことで、もう一つの要への負担が増した。彼は最善を尽くした。兵士の犠牲を最小限にしてきたことを、老人は知っている。
「お前はよくやってくれた……今も、よくやってくれている」
「……いえ。私は、ただ物を振るうことしか、能のない人間です」
 かつては剣を振っていたその手で、今は鍬を振っている。畑の耕し方なんて、騎士の家に生まれた彼は知らなかった。
 今この村に置いてもらえているのは、ひとえに老人が、この国の王だったからだ。そうでなかったら、作物の育て方や普段の民の暮らし、祭日での振る舞い方など、一から教えてはもらえなかっただろう。
「……この国は、どうなるのでしょうね……」
 国は今、帝国によって統治されている。帝国の属国という扱いなのだと、村人達の噂話で察した。
「私達には、どうにもなるまいよ。……せめて、王子が……ピュトーンが、生きてさえいれば……」
「王……」
 居城から追われた老人は、城下町に最も近いこの村から出ようとしない。城下町に住むことは出来ないが、この村は城下町へ行く旅人が泊まる。もし城下町へ向かうのなら……王子の暮らしていた城へ向かうのなら、きっとこの村に滞在するはず。
 本当に僅かな期待だ。それでも、王と呼ばれたこの老人は、その期待を胸に抱いていた。それが、この老人の生きる糧だった。

 ――老人が考えに耽り、そんな老人の傍で元騎士団長が井戸水を煮沸しようとしていた、その時。
「あ……貴方様は!」
「お控えください、こちらには……!」
「! 何故、貴女様も……!?」
 喧騒が、徐々に二人の家に近付きつつある。
「――静まれ!」
 その凛と響いた声で、喧噪は一気に止んだ。
 そして、がたり、と椅子が倒れる音がした。老人が声に反応して、勢い良く椅子から立ち上がったのだ。
「……今の……、今の、声は……」
 王だった老人が、ゆっくりとした歩みで、玄関のドアに近付いていく。外からドアを叩く音がした。とんとんとんとん。一定のリズムで、四回。
「……入っても、よろしいですか」
 喧騒を止めた低い声が、丁寧で優しい口調で尋ねる。
「あ……ああ……。入ってくれ……」
 王は、眉毛に煙るその金色の双眸から、涙を流していた。掠れた声だったが、辺りが静かだったのでよく響いた。
 ドアが開かれる。その動きは、元騎士団長にはゆっくりと見えた。きっと、王だった老人にも、見えただろう。
「遅くなりました……。ピュトーン、只今戻りました」
 太く長い三つ編みにされた、赤紫色の髪。王と同じ、金色の目。
 【戦神の生まれ変わり】と謳われたかつての若い王子が、壮年の青年になって現れたのだった。

「お久し振りです……本当にお久し振りです、父上」
「ピュトーン……お前なのか、本当に……!」
「ピュトーン王子……!」
 元騎士団長が、片膝をつく。ピュトーンは微苦笑した。
「今の私に跪く必要はないよ、バルド。私はもう、この王国の王子ではないのだから」
「……では、ピュトーン様。本当に、ピュトーン様なのですか」
「ああ」
 ピュトーンは懐から、あるものを取り出した。それは、紐で下げられていた。王国の獅子の紋章が象られた、アイオライトとスピネルのペンダントトップ。
「この国の特産である、アイオライトとスピネルを使った……では、本物の……」
「はい。ずっとお会いしたかった、父上……」
 老父が頬に伸ばした手を、ピュトーンは両手で包んだ。その金色の目から、零れ落ちる涙。
 そんな親子の再会だったが、外からの声で遮られた。
「ピュトーン! ピュートーン! 早く入れろ、寒い!」
「……エキドナ……君という人は!」
 呼ばれたピュトーンは、いそいそとドアを開けに行った。「全くもう、もっとお淑やかにしていてくれって言ったのに」などという呟きが聞こえてくる。
 一方、元騎士団長と老人は、その名前にハッとした。
「エキドナ……というのは、もしや【蛇姫】エキドナですか! 帝国の王位継承者だという……」
「それは情報が若干古いよ、バルド。今のエキドナは帝国の女帝で……私の、妻なんだ」
 ピュトーンの言葉に、えっ、と二人は呆気に取られた。そんな二人に構わず、ピュトーンがドアを開ける。
 かつん、と底の高いブーツで入ってくる女性。血の気のない白い肌を持ち、その豊かな長い黒髪を蛇のように細く結び、いくつもの小さなルビーの雫で飾る。女性らしくその胸は形良く押し出されているが、その胸元に描かれている、交差された槍と冠は、帝国の紋章。冠が描かれているのは、皇帝のみが身につけることが許されているという――。
「ピュトーン! 呼ぶのが遅いぞ!」
 帝国の女帝にしてピュトーンの妻、エキドナ。彼女は、豪放磊落な女性だった。

「エキドナ。こちらは、私の父上と、元騎士団長のバルドだ」
「おお! よくピュトーンが話している、あの!」
 よくピュトーンが話している……「あの」??
 一体どのように自分達は話されているのだろう、と気になった二人。その答えは、すぐに差し出された。
「良い父上だと聞いている。民のために尽くした、良き王だと」
 豪快そうなエキドナの口から、優しい口調で語られ、老人は目を瞬かせる。エキドナはバルドのほうも見て、語った。
「騎士団長バルド……。戦場に立てば一騎当千の活躍をするという。ピュトーンが父上と同じく、尊敬してやまないのだとも言っていたな」
「え、エキドナ! それは言わないでくれ、恥ずかしい……!」
「……もう言ってしまったぞ。良いではないか、別に悪口や陰口ではないのだから」
 わっ、と頬を染めるピュトーンと、快活に笑うエキドナ。此処までのやりとりで、良い夫婦なのだと、ピュトーンの父は察した。
「……良い夫婦なのですね、お二人は」
 バルドも同じように思っていたらしく、二人を見つめて言う。はっはっは! と笑ったのはエキドナだった。
「そうだろう? 私も、戦場で一目惚れして良かったと思っている」
「……え? 戦場で?」
 バルドの言葉に、エキドナは肯定した。
「ああ。私は、あの吹雪の酷い地で、ピュトーンを見たのだ。叩きつける雪風の中、白銀の剣を振るうピュトーンをな……」
 ――本当に、美しかった。エキドナは、まるで姫君を褒める殿方のように言う。その当の本人もまた、エキドナのことを褒めた。
「私も、あの地で初めてエキドナと出会いました。馬上で戦う彼女は、非常に勇ましい人だった……」
「おい。そこは美しいと褒めろ」
「いえ。あの時のエキドナは、どう見ても勇ましい人でした」
 妻と軽口を叩きながら、ピュトーンは言葉を続けた。
「私は吹雪の中、出ていきました。もう一度、エキドナに会いたいと思って」
「驚いたぞ。久々に夜這いに来た者なのか、思わず聞いてしまったからな」
 さらりとした言葉に、老人と元騎士団長は何も言わない。というか、豪快すぎて何も言えない。
「だから私は、彼にあることを持ちかけた」
「はい。そのことが、この国に戻ってきた理由なのです……父上」
 エキドナの言葉を、ピュトーンが引き継いで。ピュトーンは、かつての王に言った。
「私はエキドナの夫として、帝国の統治に関わるよう言われました。そうして……元・王国の王子という血筋故に、私がこの国の統治者になれと、エキドナに言われたのです」
「……!!」
 突然告げられたことへの驚きで、声が出ない。この国の統治者に、ピュトーンが。
「今、この国は、帝国の属国となっています。属国の統治者という立場ですが……私が、この国を統べることになったのです」
「私の夫はなかなか優秀でな。私の側付きを離れても、私の思うように治めてくれるだろう」
「……そうか。つまり、私の息子は……この国に戻ってくるのだな。生きて……」
「ああ。……すまなかった」
 エキドナは粗末な椅子から立ち上がると、ピュトーンの父に頭を下げた。――謝罪。
「貴方の一人きりの息子を、私が取り上げてしまった。愛情故とはいえ、年老いた父の元から一人息子がいなくなれば、不安も感じるだろう」
「エキドナ……」
 ピュトーンが気遣うように、妻の名を呼ぶ。エキドナはピュトーンに一瞬、愛情の籠った眼差しを向けて。
「案ずるな。私は、ピュトーンがいなくなった程度で弱くはならない。……数年に一度ぐらいは、私達の宮殿に戻ってくれると、ありがたいが……」
 妻としての本音がちらっと垣間見えつつ。
「だが、私は、ピュトーンの意思を尊重したいと思う。祖国へ戻りたいという、意思をな」
「……エキドナ帝……」
 かつての王は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。そうして。
「ありがとう……私の元に、愛する息子を戻してくれて……」
 その金色の双眸から、無数の涙を流した。

 その後、かつての王子ピュトーンは、女帝エキドナの夫として、かつての王国を統治した。
 属国として統治されていた王国は、ピュトーンの下で発展を遂げて。帝国が危機に瀕した際に、援軍や物資を送るほどにまでなった。
 ピュトーンは度々、父親の元へも向かった。かつての王は城下に戻ることはなく、ある村でその一生を終える。だが、唯一の息子や、息子の子供達に看取られ、大往生だったという。
 また、王国の王子ピュトーンと、帝国の女帝エキドナとの恋物語は、後世まで語られ、人々に愛されるまでになったという――。